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社長コラム:PRESIDENT’S COLUMN

vol.041Control your destiny or someone else will. スポーツは成長産業

今まで、ドームは「スポーツを通じて豊かな社会を」というテーマの下、文字通り「理念ドライブ」で頑張って参りました。そんな理念に共感して(勝手に)入社してきたのが現在のドーマーズです。

でも、そもそもそんな考え方自体が少々「セコい」という事に最近気づきました。もちろん、何事も理念や理想は大事であり、それが活力の礎であることは間違いありません。ただ「スポーツを通じて豊かな社会を」の背景にある、人々を健康にし、子供を健全に育て、社会を活気づける... という目標は、企業としては具体論を欠き、些か抽象的な思考にとどまっていたことは否めません。一方、スポーツを「市場」という指標で他人事として捉えると、スポーツ産業が属している「余暇市場」は日本の景気後退と共に年々減少の一途を辿り、同時に少子高齢化でスポーツ人口自体がそもそも減っていくというとてもネガティブな材料ばかりが目に付きます。そんな意味では知らず知らずに僕自身がスポーツは斜陽産業という前提に立っていた、というなんとも情けない状態でありました。

本当にそうだろうか?

今年に入ってから、そんな事を考え始めました。

猜疑的な視点、あるいはもっと大きな視点で捉えてみると、スポーツ産業は立派な「成長産業」だということが見えてきました。IT産業やクリーンエネルギー産業と比べても決して劣ることない数少ない成長産業の一つだということが僕の中ではっきりしました。それは、欧米におけるスポーツは歴然とした成長産業であり、アンダーアーマー(UA)はその真っ只中にいて、その成長をグイグイ牽引している、という事実にここへ来てようやく正面から向き合えたからかもしれません。

今手と二人で「ぺんぺん草も生えてない状態」から始めたドームです。当時はまだ26歳でした。その時を思えば今のドームの出来栄えは多少なりとも誇ってもいいかもしれません。でも、全くその気になれないのは、アメリカという国があるから、そしてそこにKevin Plank(UA社創業者・現CEO)という男が存在し、アメリカのUA社があるからに他なりません。仕切り好き、マイクを持ったら離さない僕の性格です。謙虚でいたい、などと思ったことはありません。でも、太平洋の向こう側を見るたびに、持ちたくもない謙虚心がムクムクと大きくなってしまいます。コンチクショー! 今に見ておれ!! そんな気持ちでいっぱいになるのです。
最近の日本の状況を「第二の戦後」と称される事も多いですが、なるほど、クオリティーオブライフに関しては正に日本は完敗です。ヨーロッパに行っても、アメリカに行ってもオセアニアに行っても人々の健康的なライフスタイルと、人生をエンジョイしようという前向きなエネルギーに圧倒される、あるいは強烈に嫉妬させられる事ばかりです。スポーツ自体が巨大なエンターテインメント産業となって社会を牽引しているから尚更です。ホンダの創業者、本田宗一郎もソニーの盛田昭夫も、きっと戦前の日本の隆盛にワクワクして育ち、敗戦のショック、そして戦後の混乱の中、アメリカに負けてなるものか! と歯を食いしばって頑張られたのだと思います。本田宗一郎が本田技研工業を設立したのが42歳の時、従業員は20名だったそうです。43歳の今の僕とちょうど同じくらい。僕らの世代がこの「第二の戦後」を牽引しなければならない、と強く感じます。

僕にとって、アメリカという国はなんとも不思議な魅力を放つ国です。混沌とし、混乱し、危険も多く、世界の中で嫌われたりもしています。それでも尚、僕にとって魅力的なのは、そんな混沌や混迷にくよくよすることなく、いつでも気合いとガッツで前に進むからです。そのパワーとバイタリティーが魅力を放出し続けているのだと思います。
最近、読んだとても面白かったモノに「東京アンダーワールド」という本があります。戦後の日本がどのように立ち直っていったのか、という話は学校でも皆が習う話ですが、この本は正に「アンダーワールド」の名のごとく、その復興の「裏側」を圧倒的なリアリティーで描写されています。描かれている事の大半は「混沌」「欲望」「力」「金」「暴力」などなど... 悪い言葉の羅列のようでもありますが、僕にとってはむしろ裸の人間そのものように思え、そんな危険でエネルギッシュな街、東京がますます好きになりました。今の日本に足りないところを反面的に示唆しているようにも思えました。「混沌」を生み出す強烈な「欲望」のスケールが大きく、登場する数々の日本人、韓国人、アメリカ人たちがそれぞれの国家観に基づく大局観を持って、お互いの欲望を摩擦させる。そして政治家、プロレスラー、ヤクザ、企業家、それぞれの立場で欲望を刺激しあい、圧倒的なパワーを持って街をどんどん創っていく、そこには人間が本来持っている動物的なエネルギーを感じました。今の法律下では犯罪行為にも当たる出来事ばかりではありますが、ある意味納得感というか、気持ちのわかる犯罪が多いようにも思いました。

一方で、現在の街はどうでしょうか。

一言で言って法律でガンジガラメです。スケールの小さい法律でガンジガラメと言ってもいいかもしれません。こんな状況では禁酒法時代のアメリカのように、アンダーグラウンドでの脱法行為が起こるのは当然のことと言えるかもしれません。密造酒を作ることでマフィアが暗躍し、警察と癒着し、街がどんどんと暗黒化していった... といった話はハリウッドムービーのお箱です。それと似た状態が今の街にあると思います。

皆さんは「クラブ」と言えばどちらでしょうか?

女性が隣に座って接待してくれる「クラブ」 
若者が踊りまくる「クラブ」

どちらも風営法によって24時には閉店しなければいけません。

でも実態はどうでしょうか。違法ガールズバーの検挙は枚挙に暇がありません。先日、金属バットで一人の男性が撲殺された事件も深夜未明のクラブ、数百人が踊っていたという話ですし、そもそもこの店は営業許可すらとっておらず、後日そのクラブの経営者は逮捕されています。
何が正しくて何が正しくないのか、を言うつもりはありません。確かにこんな事象や事件も「欲望」と「混沌」が引き起こしたモノであり、人間の本来持つエネルギーの放出と摩擦を示しているのだと思います。でも、かつての日本を作り上げたような「大局観」は欠片も感じられません。それどころか欲望のスケールの小ささに無力感を覚えます。利己的な欲望しか持たず、馴れ合いの仲間と傷を舐め合い、狡猾さや残忍さ、変質性しか感じられない最近の犯罪の数々に、日本の未来に対する失望感ばかりが大きくなり、少々まともな人々は無気力化していくのだと思います。

僕は、全ては大局観だし、それを作る思想だと思います。そもそも、24時閉店という政策・法律にどんな大局観があるのでしょうか。「レバ刺し禁止」の法律も同じレベルの話だと思います。法律は法律で大事なことは百も承知しているつもりです。でもその法律自体のポリシーや法律を作る政治家のスケールが問われる問題だと思うのです。

先日、とあるホテルの寿司屋に行きました。21時半がラストオーダーでした。20時に入店したので、たった1時間半の持ち時間です。「あれ、もうですか」と軽く話したところ、ベテランの板前さんが言いました。「私はね、昔、系列店の赤坂にいたんですよ。いやー、あの頃はすごかったですよ。ラストオーダーが2時ですよ。それでもお客さんがどんどん入ってくるし、当時はお客がいたら店開けとくってスタイルだから毎日朝まで営業、しかも満席でしたよ。活気あったなあー、あの頃は。もうあんな時代はこないでしょうね」と。

今、日本の抱える借金が大きな問題となっています。借金で首が回らない、とはよく言ったもので、借金があるとどうしても発想も思考も行動も自然と萎縮してしまうものです。そこに今の日本の閉塞感の原因があるのは誰もが認めるところだと思います。でも、国の借金の反対側にある、国の資産と個人資産、これらを対比すると日本はまだまだ資産の方が借金を大きく上回っているそうです。要は、日本人は国の抱える莫大な借金という閉塞感、増税など将来不安から、貯金ばかりしている訳です。
難しい経済の話をするつもりはありませんが、景気の「気」は「気持ち」の「気」です。戦後の日本において強烈なエネルギーで復興の牽引役を担った東京、ここには「宵越しの銭は持たない」という「江戸っ子の気質」が背景にあったのだと勝手に想像します。「使った分だけ稼げばいい」「将来の保険は貯金や年金じゃなく、自分の実力だ!」という「気持ち」から全ては始まるのではないでしょうか。そういう「気持ち」を引き出す政策を考え、法律化させなくてはいけないのではないでしょうか。

「仲間と楽しく飲みたい!」「えーい、クヨクヨしたって始まらない、パーっと行くぞ!」

自然な気持ちだし、エネルギーです。綺麗な女性がいたらちょっとくらいハメをはずしたい。でも24時に店じまい。中途半端な酔い加減、終電にのってとぼとぼと自宅に帰る。お腹が空いたから途中のコンビニでカップ麺と発泡酒を買って帰る...

せめて、2時閉店でいいんじゃないか!?

お店も2時までお客をとどまらせようと努力する。お客は葛藤する、でも楽しい。まずい、気づいたら1時だ、終電もない。えーい、毒を食らわば皿までもじゃ! 明日は土曜日、よーし、お店が終わるまで粘って、お寿司にでも誘ってやれ! 朝4時にタクシーで帰宅... 反省する翌朝... 「昨日は散々散財してしまった... よし、頑張って働こう! いい男になって、モテてやろう!」

些か、不謹慎な例えかもしれませんが、それだけでお金が回るというのは見逃せない事実です。お金が回ることが景気回復の解決策です。今の政治家や官僚は、お金が健全に回るために全力投球しなくてはならないはずです。いわゆる規制緩和の事ですが、営業時間を延長するだけで脱法行為も少なくなるはずです。脱法行為の裏には必ず、反社会勢力の暗躍や警察との癒着があります。どんどん世の中のスケールが小さくなり暗黒化していきます。
「レバ刺し」を食べて累計、何人の死者が出たのでしょうか? そもそも、そんな事を国が統制すべきことなのでしょうか? レバ刺し禁止がどれほどの経済を圧迫したかどうかはわかりませんが、少なくともレバ刺しを「売り」にしていたレストランが相当な打撃を受けたことは間違いないはずです。国民の安全を担保するのが政治の仕事であるならば、年間3万人の自殺者対策を考える事も大事な政策です。自殺や虐待の背景には経済問題が大きく存在します。複雑怪奇に連携しているのが現代人の営みで、個別個別に政策を打っても砂漠に水をまくようなモノです。縦割りの官僚制度などそもそも日本の統治機構に問題があるのかもしれません。でも、本当に大事なのはあくまでも「大局観」です。今はお金を回す事を最優先で考え、具体的な政策を打つべきだと思います。

「日本を金回りのいい国にするぞ!」「金回りをフン詰まりさせている法律を全部見直せ!」

縦割り機構の上に立つトップ、即ち総理大臣が、「大局観」に基づき大号令をかける。大きな組織を機能的に動かすにはそれしかないです。リーダーの大局観、それを具現化するリーダーシップです。皆がちょっとずつお金を使い、ちょっとずつ頑張る。そんな方向に社会をリードする。消費税を導入した竹下元首相、その背景にある大局観は「頑張れば頑張るだけ高い税金がかかる所得税はこれからの成熟社会にはそぐわない、頑張った人が報われるような活気ある社会に変えたい」というものだったと聞きます。即ち、所得税減税とセットの政策でした。でも、今の増税のロジックは「年々増加する社会保障負担を賄う」というもので、どこからどう考えても大局観などありません。今ある莫大な個人資産をコスト(費用としての社会保障)に回すだけ、無くなったら終わりの先送り政策です。「お金を使ってお金を生もう!」という、大局観はおろか、ごく普通の経済感覚すら持ち得ていないと感じます。大局観に基づく政策が間違うことはあるかもしれません。でも、負うべきリスクはそっちのリスクです。組織の運営や統治というのはリーダーの大局観の下に収斂されるべきもので、大局観のない政策はすべて糸の切れた凧のように、ただフラフラと舞い、見知らぬどこかに落ちるだけ、方向性がない訳だから成功の形すら無い訳です。
勇壮な武将として名高い織田信長も「親が子を殺し、子が親を殺す、そんな戦国の世を終わらせる」という大局観を持って命を賭して天下統一に邁進したと聞きます。加えて、信長は「楽市楽座」という大改革、規制緩和を行い、経済の活性化にも成功しました。その発想は「民衆からできるだけ多くの税を徴収する」から「経済を活性化させて総量を増加する」というとても発展的な大局観でもありました。

世の中にリスクの無いものはありません。

リスクと引き換えに何を得るのか?

人間は、自然自然にそのことを計算しながら生きているはずです。

ドームはお蔭様で、毎年20%以上の成長を続けています。規模が大きくなってもこの勢いは続いています。一見、順風満帆です。でも、人間と同じように成長には成長痛を伴う、即ち色々なリスクを包含して成長する訳です。一部の金融機関にはこの理解が全く得られません。成長を止めて安全運転してください、と言ってきます。そもそも何が安全なんだ? 僕はそう思います。安定志向は内向き思考となり、活力はなくなり、新しい発想も新しい挑戦もなくなります。そっちの方がよっぽどリスクじゃないだろうか。そもそも、そんな上っ面の安全思考が国全体に本当のリスクを課しているのではないだろうか。自分だけの安全を求めるような考え方がこうした閉塞的な社会を生み出してしまっているのではないだろうか。
20%以上の成長を続けていても、まったく安心感も満足感も得られないのは、冒頭に書いたとおり、アメリカの成長企業であるUA社と日々対峙し、そのエネルギーと日々切磋琢磨しているからに他なりません。そして、もっともっと頑張って、税金をたくさん払って、日本をいい国にしたい、アメリカにいつか勝ってやる、そんな強い思いが湧き上がってくるからです。偉そうですが、そう思うのです。日本人、もっともっと自分のため、他人のため、お国のため、頑張ろうじゃないか!

さて、スポーツです。

ここは幸いにも法律が規制して、金回りを悪くしているという事はあまり見当たりません。なので、問題は我々スポーツ産業人の大局観と発想力、そして実行力がポイントとなります。少子化を嘆く前に「レバ刺しが売りだったレストラン」とは全く違う状況に感謝するべきかもしれません。

世界規模で見てみるとスポーツが成長産業というのを説明するのは簡単です。...が詳細は割愛して一例を挙げます。

アメリカのメジャーリーグは過去15年で収入が約4倍。
日本は横ばい。

約15年前はほぼ同規模だった日米のプロ野球市場ですが、今では隔世の感を覚えます。日本の超一流選手のメジャー流出を嘆く前に、この状況自体を真摯に受け止め改革していくべきだと思います。法律の規制がないわけですから、実際は自由自在に「楽市楽座」ができるはずです。MLBもかつては選手会のストライキがあり、球場には閑古鳥がなく状態だったようです。その後、MLBは大改革に乗り出しました。その改革の根幹は

「チーム中心の統治からリーグの統治へ」

というモノだと理解しています。米国は世界の先端を進む激しい競争社会です。MLBも他のスポーツ、NFLやNBAあるいはハリウッド映画などのエンターテインメント業界とも競争があります。MLBは「チームが先に成立して、リーグができた」という歴史に基づくチーム主導の統治で約90年運営されていました。それをリーグが主導権を持ち、一致団結して「野球の価値を最大化」する方向に舵を切ったとのことです。具体的には「戦力の均衡化によるゲーム価値自体の向上」と「お金を生み出すマーケティング改革」だそうです。
例えば、ヤンキースなど金持ち球団に見られる贅沢税なる上納金制度であったり、「MLB.com」などコンテンツ価値の包括的な向上によるファンの獲得と現金収入などがそれに当たります。Webサイト、"MLB.com"と日本の"NPB.or.jp"を見比べるとその違いは明らかです。MLBは情報の宝庫です。あらゆるプレーのリプレイ動画が見られ、その動画を見る前には必ず15秒くらいのCMを見る必要があります。コンテンツ価値をあげ、ファンを増やし、オマケに広告収入まで得ている訳です。

日本も、真似するだけなら簡単にできるはずです。

すぐ、やりましょう!

こうした視点だけではなく、アメリカでスポーツを観戦する時にいつも感じることが「皆が楽しんでる」という事実です。これは文化とも言えるかもしれませんが、新しい国家であるアメリカではスポーツは「一つのお祭り」になっています。アメリカ人はお祭りが大好き、でも本当はスポーツが大好きなのだと思います。スポーツを上手く「お祭り化」している訳です。毎週末1試合しか行われないフットボールなどは特に顕著で、NFLチームのない地域の大学のホームゲームが行われる日は、街や村の最大のお祭りになります。前日から飲食材を買い込み、試合前にテールゲートパーティーなるBBQパーティーでまず皆ベロベロに酔っ払います。そしてMAXハイテンションで会場に乗り込むもんだから、試合中は正にお祭り騒ぎです。そして試合が終わったら、スポーツバーでの解説合戦でもうひと盛り上がりです。試合中のファン同士の激しい取っ組み合いの喧嘩も絶えません。そんな荒々しさもお祭りの魅力の一つでしょう。僕自身、子供の頃に行った地元のお祭りで中学生に囲まれて「カツアゲ」された痛い記憶があります。とても残念な思い出の一つではありますが、それでも尚、お祭りに参加し続けたのは、こうしたスリル自体がお祭りのワクワク感に直結していたというのが僕の最近の理解です。
こうしたお祭り的なスポーツイベントは経済効果も莫大です。アメリカの大学フットボールの平均観客数を見るとなんと、10万人を超える大学は一つや二つではありません。一人当たり2千円のチケット収入としても2億円です。球場内で使う飲食代で、2千円使えばさらに2億円です。テールゲートパーティーで2千円費やせばさらに2億円です。試合後にスポーツバーで一杯やって2千円使えばさらに2億円... もちろん、放映料やスポンサー料などそれ以外にも収入源は山ほどあり、アメリカにおけるスポーツビジネスの巨大さ、奥深さを実感せざるを得ません。これはあくまで「地方の一大学の事例」であって、フットボールの最高峰であるNFLの総収入は先ほど説明したここ数年急成長を続けるMLBを大きく上回っています。NFLは全米32チーム、試合数は16試合しかないにも拘らず、です。日本のスポーツ産業の後進性を嘆くよりも、これからの可能性を眼前に、ワクワク感を覚えるべきだと思うのです。土俵は何も変わりません。アメリカでもここ十数年、スポーツ業界人達が過去のシガラミを捨てて、前に進んだ結果です。我々にできないはずがありません。

まずは、欧米でやっていることをそのまま真似してみる。

お台場に野球場を作って巨人を招致する... 4万人が大移動、その前後に飲んだ食ったする場所を提供する。
大学ラグビーリーグを統一し、戦力均衡を図り、大学のグランドを使ってホーム&アウェイを実施... その前後に飲んだ食ったする場を提供する。
Jリーグチームに免税特権を与え、反対に施設開放やスポーツクラブ運営など地域貢献の義務を負わせる... 「おらが街のサッカーチーム」化が促進される。
プロ野球合同トライアウトをオープン参加にして商業化、一大イベント化する... SASUKEよりリアルなチャレンジが感動を呼びコンテンツ化される。
甲子園大会を商業化して、収益を最大化し、収益金を学校に分配... 学校のスポーツ施設の拡充を図る。

眠っている価値を掘り起こす。

敵は法律にあらず、自身にあり。

上記したすべての具体的な作戦も、大局観で言えば全てが収益増に結びつき、付随する産業は発達し、人々はよりスポーツに関心を持ち、欧米のように価値向上のスパイラルに乗ることでしょう。でも、様々な利権、善悪とはかけ離れた伝統的な思考などが邪魔をして、ただ座して待っていては一つも実現できそうにありません。例えば、大学ラグビーを統一して戦力の均衡を図ろうとすれば、2部リーグ、3部リーグに落ちる伝統校が出てきます。そのOBが黙っていないはずがありません。今はそうした小さな利己思想が蔓延し、硬直状態です。

自分のチームがよければ、その競技自体が凹んでもいいのでしょうか?
皆が潤う可能性をみすみすやり過ごしていいのでしょうか?

要するに、今のままでいいのでしょうか?
変えない方がよっぽどリスクじゃないでしょうか?

物事には全てリスクがあります。

エンジンをふかせば排気ガスが出ます。
美食を喰らえばウン〇が出ます。

危険を承知で前に出るリスクを取るか。
家にこもって安全に死んでいくという薄く長いリスクを取るか。

アメリカ人は陽気でお祭り好き、日本の文化とは違う。

果たしてそうでしょうか。徳島で行われる阿波踊りに訪れる観光客は130万人です。徳島市の人口は26万人。阿波踊りほどではないにせよ、日本にはそういった百万人規模のお祭りが多数存在し、十万人規模のお祭りなら山ほど存在している、と言っても過言ではありません。スポーツのイベントもアメリカのそれのように、お祭りの要素を加味していくことで集客につながるはずです。「飲んで、歌って、踊る」... もっともっと開放的に、もっともっとワクワクドキドキするように。感情を曝け出し、酒を飲み、歌って踊れるように。甲子園の阪神戦の集客がすごいのはこうしたお祭りの要素を満たしているからに他なりません。

危険を承知で前に出るリスクを取ること。取るべきリスクか、そうではないか、の判断は「今のままでいいのか?」という自問に尽きると思います。政治も、スポーツも、今のままでいいのでしょうか? いいはずない、と僕は思います。

"Control your destiny or someone else will."
自分で運命を支配するか、他の誰かにされるのか。

アメリカの高名な経営者であるジャック・ウェルチ氏の言葉です。高い理想を持つならば、個人の持つべき最大の大局観だと思います。

朝、目覚ましが鳴るから目を覚ますのか、やることがあるから目を覚ますのか。

メニューがあるから練習するのか、上手くなりたいから練習するのか。

社会保障費が増えるから増税をするのか、活気ある社会を作るために税制改革するのか。

生活するために働くか、夢に向かって働くか。

「スポーツを通じて(経済的にも精神的にも)豊かな社会を作る」ため、そして「自分自身の豊かさ」のため... そんな野望が僕を突き動かすガソリンです。

ガソリン満タン、アクセル全開で2012年を締めくくるぞ!

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