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社長コラム:PRESIDENT’S COLUMN

vol.019「責任」の本質

ブッシュ大統領が先日、イラクに対して「査察を受け入れなければ攻撃する準備がある」と宣言した。「どっちから見るか」により物事の色合いは変わるのは世の常だが、僕にとってその宣言自体、最初は「イケイケドンドン」っぽいという印象を持った。でも、その言葉を発しているブッシュ大統領の表情を凝視してみると、一言一言、自らに語りかけるような決意、また、仮想の敵に対しての果敢なる姿勢を見せようという気迫が腹の底に潜んでいると「感じ直した」。

「13デイズ」
先日、出張中の飛行機の中で、見た映画。"キューバ危機"に際したケネディー大統領を中心とした米国における"最高度の政治的決断の内幕"といったものを題材にした映画である。国家元首たるもの、最高の決断は戦争である。つまり人を殺すか、殺さないか、という決断だ。その殺すであろう「人」とは他国の「人」と同時に自国の「人」も指す。その背景においては様々な要素、変幻自在の思惑、個人のイデオロギー等々が多面的に糸を引き合う。とにかくこの手の政治的な決断は数百、数千、数万(数字で表されるものではないが)という要素からシミュレーションを組み、「やる」か「やらぬ」かを決めなくてはならない。

結局、今回の場合、ブッシュ大統領は「やる」ことを選んだ。例え49対51という拮抗した状態であれ、白黒をはっきりつけなくてはならない。ブッシュ大統領の記者会見での表情から、この「13デイズ」という映画を思い出し、その責任の重さ、、、むしろその責任というものの本質を考えざるを得なかった。「様々な要素」には当然、自らの命、もっと酷い事には彼の家族、つまり「夫人」「子供たち」の「命」をも危険にさらす、ということも含まれている。湾岸戦争における父の決断/行動とあいまって、ブッシュ一族が一部の原理主義者からかっている「恨み」はなみなみならぬものがあるだろう。国家権力で守られている、というのは単なる妄想であり、実際の恐怖とは次元が違う。むしろ「夫人」や「子供たち」にいたっては本来ごく普通の生活が営まれるべきである。好むと好まざるとにかかわらず、家族たちも毎日恐怖との戦い続けているのだ。それが責任ある立場にいる人間の定めなのだ。

振り返って、わが国の「構造改革」、および「外務省疑獄」。 これはいったい何なのだろうか。


僕は「日本がいい」、とか「アメリカがいい」、とかいったことを考えるタイプの人間ではない。この情報化社会、地球はドンドン小さくなっている。かつて坂本竜馬が「おぬしは何藩の人間だ?」と問われ、「わしは日本人じゃ」と答えた感覚を皆が持つべきだろう。僕は坂本竜馬ほど立派ではあり得ないが「地球人でありたい」、とは常々思っている。つまり、歴史的な背景やイデオロギーはどうであれ「いい」は「いい」し「悪い」は「悪い」と素直に感じて生きたいと思っている。

そんな感覚でいると、最近の政治家や官僚たちはどうしても気に食わない。

★道路:どう考えても要らない。
★汚職:どう考えても泥棒行為、犯罪。


これ。
これ以外、なんの要素があるのだろうか? グチャグチャ議論の余地はまったく存在しない。今、高速道路がなくたって生きていける=要らないものは要らない。自分のものではない金を使う=泥棒。ということではないのか?

「道路族」と俗称されている議員が図々しくTV番組に登場して自論を展開する。内容など、どうでもいい。要は票が欲しいだけ。今、道路がなかったら死んじゃうのだろうか?  ちょこっと難しくいえば、高速道路代、ガソリン代、駐車代、車検費用、等々が物流コストを押し上げ、日本の製造業の競争力を落としているのは紛れもない事実であろう。多少、道がガタガタでもいいではないか。今は誰もが様々なレベルでの我慢をしている... といってもまあ、そんな議論はあまりにも当たり前すぎて、疲れるだけだ。建設業に携わる人々が失業する? うーん、人間本来が持つ生命力の強さや追い込まれたときのパワーをもっと信じるべきだろう。(このへんの意見については以前のコラムで書きましたけど。)

感想:「公職にある身、責任感ゼロ。」
結論:「保身が第一の人々、消えてくれ。」


外務省、いろいろな汚職が詳らかになっている。でも誰がどう考えても、もっともっと根深い問題であろう。それは確実だ。それを現在、外務大臣が一人でハッスルして取り扱っている様子である。外務次官はじめ、幹部達からはその問題の解決に関する積極的な姿勢はまったく見えてこない。そんな中で、2ヶ月ほど前だっただろうか、詳しくは忘れてしまったが、キャリア職員が少しの金額の使い込みをして、それを隠蔽していたことが発覚した。その記者会見の際、確か副大臣の会見であっただろうか、「将来のある身、武士の情けと思い、伏せておいた」だと。普通、他人の金を使ったら、泥棒じゃないの? しかも君たちは公僕でしょ。公に僕すると誓っておいて、公の金を使い込んで、何で「武士の情け」なの? そもそも誰が武士なの?


僕の電子辞書で引きました。
こうぼく【公僕】
〔権力を行使するのではなく〕国民に奉仕する者としての公務員の称。〔ただし実情は、理想とは程遠い〕
Shin Meikai Kokugo Dictionary, 5th edition (C) Sanseido Co., Ltd. 1972,1974,1981,1989,1997
とのこと。なんとも笑えました。辞書にまで馬鹿にされている...というか言葉の意味がすでに違っていることを意味している訳だ。とにかく世の中のあらゆる権威の「形骸化」には唖然とするばかりだ。

外務省とはなんとも図々しい世界なのだろうか。民間企業でも多かれ少なかれ、この手の使い込みが多い。実際、僕もたくさん見てきた。ただ、公になった暁にはその当人には当然、厳重な罰が落ちるはずである。利害が誰かしらに直接絡んでいるからだ。そんな人間が会社にいたら将来の成長を確実に妨げる、そもそもその金は俺の金じゃないか、その金は誰が稼いだものかetc, etcという観点で考えれば、ほんの少しの使い込みでも許せないはずだ。(ただ、僕の前の会社ではみんなが見て見ぬ振りだった。たった一人だけ、首になったのは僕の1つ上の庶務の女の子。上司の架空出張を作り、新幹線チケットを購入し、それを金券ショップに売却していた。体外的には自主退社。)でも外務省では「課長になったらあんなに美味しいことができる」というのが暗黙の了解、、、というか公然のインセンティブにすらなっていたのだろう。明るみになっているだけで数億の金が動いている。「普通」の状態であるはずがない。

より大きな意義のために、自己の危険をかえりみず、熟慮を重ねた大きな決断をしている米大統領と比べるとあまりにも寂しすぎる。森元首相など、責任の所在はいざ知らず、あれだけの混乱を起こし、権力の座から引きずりおろされたにもかかわらず、いまだに影響力を保とうとしている。かつては我が国のトップに座った人間として見るに、どうにも悲しくなってしまうのは僕だけだろうか? 僕らのような経営の世界では、失敗(失政)はすなわち破産を意味し、復活の可能性はあるものの、確実に一時退場を余儀なくされ、退場後の人生は困窮を極める。森元首相は何の責任を感ずることなく、のうのうと裏で糸を引いていると思うとなんともいえない無力感を感じる。トップがこれで、国に活力が生まれるはずがない。

あと、ムカつくヤツ。河野元外務大臣。こいつは例の松尾被告が逮捕されたとき、国会の答弁で堂々と「調査の結果、これは松尾氏一人の仕業」と述べていた。事実は皆が知っている通り。

これ、どうなの? そんなことって許されていいの? お前、元大臣だろ? いまだに国会議員で威張っているの? 人として恥ずかしくないの? って、聞きたい!

人々は「責任」という言葉とどのように対峙しているのだろうか?
失うものがある人は何かを守ろうとする。当たり前のことだ。
でも、古来、本来、古今東西、この素晴らしい人間社会においては、高貴な階級にある人々がまず、自らの命を捨てることを美としてきたはずだ。ブッシュ大統領を見て、今はそんなリーダーが求められているとの思いを強く持った。

一地球人として、ブッシュ大統領と日本人政治家、官僚達を比較して、そんなことを思ってます。さあ、今週も精一杯がんばりましょう!

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