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社長コラム:PRESIDENT’S COLUMN

vol.018アメリカへ行ってきました。

と、いうか「書いている今現在は」まだ帰りの飛行機の中です。今回はNYメッツ、マイク・ピアザ捕手のパーソナルトレーナーである"Troll"氏に面会するべくロスアンジェルスへ、そしてデンバーではEAS、最後には毎度おなじみのボルチモア、、、アンダーアーマー社を訪問、都合約2週間ほどの出張であった。

☆回顧コーナー☆
小学校の時、卒業アルバムで「夢」を書くコーナーがあった。本当は夢なんてなかったし、だいたい「夢」の意味、、、つまり「プロ野球選手にはなりたいけど、無理だろうしなあ」とか思ったし、12歳にもなればそれなりに現実も理解できる訳で... 夢の持つ本来の意味をあんまり理解できなかった。で、結局その時は「世界をまたにかけて仕事をする」と書いた...というか「世界をまたにかけてデッカイ仕事をする男になりなさい」と、小さな頃から母親に言われ続けていたことをそのまま書いただけ。夢の意味すら分からぬ当時、「世界をまたにかける」なんてこと、まるでピンとこなかったのだが「三つ子の魂百までも」、という訳でなんとなく、その頃から「世界」に興味が沸き始めたことだけは確かなのであった...。

☆回顧コーナー終わり☆

で、法政大学文学部日本文学課(沖縄文学専攻、卒論のテーマは「沖縄における王権の成立と稲作農耕文化」、都合140枚の力作!)をAが三個(そのうちニ個は体育、、、で体育会は監督が採点するため、基本的には全員自動的に"A"が二個もらえた)という大変"こっぱずかしい"成績で卒業し、「世界っぽい雰囲気」のする三菱商事に入ったものの、わずか4年で挫折した。そしてとりあえずスポーツ関連商品の「貿易商」としてドームをはじめたのが約5年前... かれこれ何度目の出張になるのであろうか。

三菱商事時代も海外出張はよくあった。で、当時はバブルの名残も色濃く、僕のような青二才、、、というか仕事もまるでできない男が「ビジネスクラス」でフライトし、一晩300ドルもの高級ホテルに泊まっていた。出張の詳しい日程は上司が決めてくれ、その日程に従って現地の駐在員の方が全てフォローしてくれる。つまり、空港には出迎えてくれるし、ホテルも取ってくれるし、チェックインもしてくれる。晩飯も「ご当地の高級料理」をばっちり食すことができた。当時の僕の出張費...といっても旅費だけだが...総額を計算したら何と120万円を超えていた。自分のことながら「何か気まずいなあ、まるで仕事なんて出来ないのに... 本当にこんなのでいいのだろうか??」とは思っていたし、あらゆる「高級感」を味わったところで実力が全く伴わないわけだから、現実、なんの充実感も味わえなかった。当時の僕の海外出張は「仕事をしに行く」というレベルではなく、上司から「行ってきなさい」や「あそこ、見てくるといい」という感じで、、、「教育」的な要素で出張に行っていた、、、120万円もかけて。 当時の僕は何故か、部署内で一番最初に海外出張にでる新人となった。理由は英語の成績が「抜群に伸びた」から... つまり、スタートラインが限りなくビリに近かった、、、というか同期220名中、219番目、という"こっぱずかしい" 成績から「海外出張に行ってもいいですよ」というレベルまで急激に向上した、という点が認められたからである。そのレベル到達時、部長から5万円のご祝儀をありがたく頂戴した。で、一応、部署内で初の海外出張というのは結構名誉なことらしく、その前までは話したこともない他の部課の多くの課長やベテランの方々から冷やかされたり誉められたりした。

ドームを始めてからの最初の海外出張のことは今でもよく覚えている。目的地はサンフランシスコだ。まず、ホテルのアレンジに困った。訪問先の住所は分かっても実際の場所は分からない。サンフランシスコの詳細地図があるわけでもない。今のように「"Yahoo!"で検索」、なんてこともできない。訪問先の会社の奴からも歓迎されているわけではない。なんと言ってもこっちは徒手空拳、会社を始めてまだ三ヶ月程度である。信用もなければ言葉だってめちゃくちゃだ。金持っているかも分からない。例えて言うなら今、僕の会社に仮に「マレーシア」(特に深い意味はないので、マレーシアの方は気を悪くしないで下さい。)からの客が「アンダーアーマー買わせてくれ」、という連絡がきてもわざわざWelcomeはしないだろう。「はい、了解。時間を空けておきます。」という程度のものなはずだ。つまり、出張の度に思うのだが、人間には「それなりに看板が必要」ということ。後に「本質」を知ることになるのだが、当時僕はその看板は「三菱」だと思っていた。でも、経験を重ねるうちにその看板は「僕自身」である、という根本的なことに気づいた。つまり、今でも相手にしてみれば「ドームコーポレーション」も「安田秀一」も知らない訳であって、いずれにせよ、アポには応じてもそれ以上のことはする必要はないだろう。ただ、何度か同じような経験を重ねるうちに、初めての訪問先であっても結構Welcomeされる。自然の立ち居振舞いが「オーラ」となって相手に伝わるのだと思う。人間にとって、経験とそれからくる自信は小さいものではない。

で、初めての出張の時は、結局、よく分からないので空港のそばのAirport Hotelの予約をとり、格安チケットのエコノミークラスでのフライトとなった。で、空港に着いた瞬間に感じた感覚は今でも鮮明だ。

「あ、誰も出迎えてくれないんだ。」

と、いうこと。なんか、あまりにも当り前でつまらないことだけど、こんな感覚がかなり明瞭に記憶に刻み込まれている... つまり誰も知らない、また言葉も違う異国の地で「なんでもゼロから自分でやらねばならないんだ...」という現実を突きつけられた気がした。出迎えが居ない海外の空港は初めてだった。とりあえず自分の「足」で進むべき方向を決めなくてはならない。そんな当り前のことが無性に「不安感」をかき立てた。同じような気持ちは三菱商事時代、上司に「3 月いっぱいで会社を辞めさせて頂きたいのですが。」と持ち掛けた日の就業後、「駅までの帰りの道」でも感じた。会社を一歩でた瞬間、「この足はもう、どっちに進んでもいいんだ... でも、どっちに進んだらいいんだろう...」という、将来への希望などを吹き飛ばす「根本的な不安」の大きさを実感した。

ともあれサンフランシスコの空港で...。Airportホテルなので当然リムジンがあるはずだが、当時の僕は「出迎え」が当然であったので、そんな知恵があるはずもない。また、普通の旅人なら予めその辺の下準備をしていったであろうが、当時の僕は会社を始めたばかりで「やらなくてはならない細かいこと」が山ほどあり、忙しいというよりも...「脳みそがあと2つ欲しい」と真剣に考えていたくらいモノゴトに健忘気味であり...つまり、相手との交渉や商品の品質(最初の取引から30種類程度の品数を購買...で、それら商品に対する具体的な知識や評価する経験もまるでなかった。)ばかりに頭が行き...交通手段など頭の片隅にもなかった。当然「地球の歩き方」も「るるぶ」も持っていない。留守を守る今手専務(当時は社長と専務二人)もかなり心配だ。なんたっていつも10時出社の上、寝不足の時は「すっ」と居なくなり、車で睡眠をむさぼるような男なのだから。

で、とりあえずタクシーに乗る。
とにかく不安。
「俺の発音で通じただろうか?」
「この道であっているのだろうか?」
「遠回りしやしないだろうか?」
「こいつ、俺をハメようとしてないだろうか?」
「スラム街つれていかれて、フクロにされないだろうか?」
etc,etc...

とにもかくにも、ドキドキの初出張と初交渉は何とかどうにかこうにか小さな成功を収め、今日に続く"偉大"なる橋頭堡となった。

経験、自信、相手との信頼関係、大きな野望と夢... 今ではそんなモノを大きな荷物に旅に出る。でも、1996年のサンフランシスコ空港での凍るような「不安感」は生涯忘れることはないだろう。

自信とは経験からくる改善の積み重ね、信頼は自分を飾らず正直に相手にぶち当たる勇気。

そんなことを感じながら、温故知新している機内でした。

出張の詳細は、、、来週かDOLのトピックスコーナーにて!

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