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社長コラム:PRESIDENT’S COLUMN

vol.058愛される存在へ

5年後も10年後も、ずっと必要とされる人間であるために

「好きになるより、好きにさせるんだよ!!」

昨今、このドームジャーナルを自身のプロパガンダメディアのごとく私物化しているドーム・三沢取締役に「モテかた」を指導した時の、僕の「金言」です。

誌面からもにじみ出る「押し」の強さ、否、「押し」しかない三沢の生き様を客観的に見ていたのですが、振り返ればそれは入社当時、150kgの巨体に汗まみれのカッターシャツとツータックのスラックス姿で「モテたいよー」「モテたいよー」と連呼していたころ、ふとした拍子にすっと降りてきた「神の声」のようでもありました。下世話な話がなぜ急に「神の声」にまで昇華したのか...その理由は、まさにそれは自分にこそ当てはまる言葉であり、そしてそれは、おそらく他の誰にでも当てはまり...商品にも、ブランドにも、そして企業にも当てはまる「万能の言葉」でもあったからです。
思い起こせば、僕自身が三沢を上回るような「押してダメなら押しまくる」、そんな人生を歩んできました。海の向こうの盟友、ケビンもまたそんな感じです。周りを見れば、専務・今手も、常務・中村も...。
「デジタルネイティブ」「ジェネレーションZ」などと呼ばれている「現代っ子」がどんどん大人になっていきます。今の大学生は小学生のころから「スマホ」を活用している、そんな世代です。
「スマホ」と「クラウド」。これは「マス」から「パーソナライズ」へのパラダイムシフトを指しています。今はまさに時代の変革期で、思考のみならず人格面から「パーソナライズネイティブ仕様」に改造しなくてはなりません。情報が「マス」であった時代。「大衆の中の一人」だった時代から、「逃げるか進むかを自決する"ひとりの人格"」という時代へ。「大衆の一人」として、前へ前へと出て行くことでしか自分の存在を確認できなかった我々世代です。かける方も、受ける方も、誰が相手かわからない「黒電話」で育ちました。そして、すべてが「ID」により管理され、自分を出すか出さないかを自分で決めている世代が、これからの社会を作っていきます。

新しい時代の中で「愛される」ために、我々はどうあるべきでしょうか。

独特の価値観を持つ「オヤジ」
「押しの強い系」ばかりの僕の身近にも「愛されキャラ」がいます。僕の「オヤジ」です。「オヤジ」は、通称「おやっさん」と呼ばれ、僕以外のドーマーズ誰もと分け隔てなく付き合い...というかむしろ75歳の老人にもかかわらず、若手ドーマーズを引き連れて、毎月のようにゴルフや食事に行っているようです。大好きなゴルフではライバル・中村昌弘といつもガチンコ勝負。すでに12回もエイジシュート達成。先日の「日経カップ企業対抗ゴルフ選手権」では、見事にホールインワンを決めました。実に、6回目のホールインワンだそうです。
その時の軽いエピソードです。

スポーツマーケティング部長の伊藤弘典くん、通称「伊藤くん」が応援に行っていたのですが、ホールインワンの直後に伊藤くんに電話が入りました。

オヤジ「伊藤くん、大変なことが起こったよ」
伊藤「え、おやっさん...どうしたんですか? ブッ倒れちゃいましたか?」
オヤジ「バカ! ホールインワンしちゃったんだよ。ああ、でもそうだな。俺くらいになったら、ホールインワンよりブっ倒れる確率の方が全然高いよな、へへへ!」

伊藤くんも「愛されキャラ」型の人間ですが、二人のそんな会話にドームが目指す「フラット」な関係が、ごく自然にあることも実感しました。自然に...とはいいますが、伊藤くんはそんな話、すなわち社長である僕の父親が「ブっ倒れる」という類の話を、社長兼息子である僕に爆笑しながら「面白い話」として展開してくることに、母なる大地のごとくフラットな人柄を感じました。
昭和17年、1942年という太平洋戦争の真っただ中に、大田区羽田の「船大工」の三男坊として生まれた「オヤジ」です。名を「進」といいます。オヤジの親父、つまり僕の祖父はオヤジが生まれたころに36歳という年齢で召集令状、通称「赤紙」が届き、満州に派兵されました。戦後、シベリアに抑留されましたが、運良く4年で復員できたそうです。祖父は「愃(ひろし)」といいます。江戸時代から続く船大工であった「安田家」ですが、僕の曾祖父に当たる人に跡取りがおらず、いわゆる「連れ子」として安田家に来たのが僕の祖父「愃」です。祖父は52歳のとき、僕が生まれる7年前にガンで他界しました。

「愃」は復員後、稼業であった造船業はおろか、町もコミュニティも崩壊していた羽田の地で必死に働き、地域の主産業の一つであった造船業を復活させたそうです。大変厳しい人だったらしく、僕が幼少のころ「オヤジ」はよく「俺はよ。お前らと違ってさ、親父に毎日のように殴られて育ったんだよ。スパナで殴られたこともあったなあ。ひでえ親父だよ」と嘯いていました。事実、小学校に通っていた当時の「オヤジ」は放課後、毎日「造船」の手伝いをさせられて過ごしたそうです。中学までそんな生活が続き、卒業後はそのまま造船所に勤務、すなわち「中卒」のまま今に至っています。なので、オヤジにはいわゆる「学友」がおらず、友達のほとんどは大人になってからできた「バイク仲間」か「ゴルフ仲間」、そして「ドーム仲間」ばかりです。

羽田という、多摩川が東京湾に流れ込む東京には珍しい豊かな自然の中、米軍機の爆音を聞き、おがくずと油にまみれながらスパナで殴られるという、極めて「稀有」な幼少時代を過ごしたオヤジは、僕の周りにも見たことのないような稀有な人格を所有する、何事にもとらわれない独特の価値観を持つ人間となっていました。

政治経済など社会的な話題には些かも興味を持たず、それどころかニュースすら見ることなく、新聞はテレビ欄と社会面のみ、ささっと読むだけ。愃の死後、代わりに面倒を見てくれた叔父が進んだ政治活動の道に対しても、知識はおろか興味すら持つことはありませんでした。好きなテレビ番組はひたすら「格闘技」と「野生の王国」。客観的に見たら、厳しい生活環境の中、毎日海を見つめながら、大して好きでもない物作りに明け暮れさせられた幼少期の経験が、すべてを「ワイルド」な方向に進ませたように感じます。そんなオヤジの口からは、学校での思い出話、友達や先生の話題など一度も聞いたことはありません。おそらく、記憶にもないのだと思います。つまり大衆にまみれるべき時期に、独特の体験を積んでしまったのだと思います。

最先端を行く現代っ子
僕は幼稚園時代、親戚から「テレビ博士」と呼ばれていました。祖父とオヤジ(間に長男、オヤジの兄が会社を継ぎましたが、作業中の事故で僕が生まれる前に他界)の頑張りで、そこそこ裕福に育ててもらえた僕は「普通の子ども」として生活することができました。社会性のまったくないオヤジですから、教育方針などありません。反面、オフクロはというと、これが新聞をくまなく読み、社会のあり方をいつでも考え、同時に教育のあり方、親子の関係にも明確な方針を持っていました。つまり、両極端なダブルスタンダードの中で育ったわけです。母親が仕切る生活面において、僕は「家族全員の皿洗い」という仕事を小学生から仰せつかりました。それもお湯も洗剤も使わせてもらえず、水とたわしで「腰を入れて洗えば落ちます!」という厳しい指導を受けたものです(洗剤を嫌っていた母親は当時から「オーガニック」的感性を持っていたようです)。

そんなダブルスタンダードの中、いわゆる「いい子」で、習い事は週6日入っている姉とはやや違う性格だった僕は、習い事は大嫌いで、テレビばかり見て育ちました。オフクロは正直、面白くなかったようで、僕はいつでも背後にプレッシャーを感じながらも、自分の興味を満たしてくれるテレビにかじりついていました。当時はよくある家庭の姿だったかもしれませんが、オヤジがいる食卓ではテレビはつけられていましたが、母子のみのそれでは許されることはなく、母親も自身の教育方針とはまるで違う「ワイルド」な家長の存在を苦々しく感じていたようです。それはそれとして、毎朝なぜか「今日はどんなことが起こるんだろう!」というワクワク感が押し寄せるため、誰よりも早起きだった僕は、新聞を朝一番で読み...最初もちろんテレビ欄だけですが、毎日の番組表をほぼ暗記してしまったことから「テレビ博士」というニックネームを授かったのでした。
母親から譲り受けたのか、僕の知識欲、情報欲は旺盛で、テレビ欄から入った新聞はやがて朝の「ワクワク感」を満たす情報源になっていきました。小学校に入学すると今度は漫画が好きになり、高学年になるにつれ読書に変わり、図書室の本を借りまくり、最初はSFものから次第に歴史ものが好きになり、吉川英治や司馬遼太郎を読み漁りました。中学校に入学すると「漫才ブーム」に乗っかり「オールナイトニッポン」を聴き、「オレたちひょうきん族」を見て、ギャグのセンスを磨く...そんな学生生活を送りました。少しだけ個性的かもしれませんが、現実としては広く一般に「慕われている」マスメディアにまみれて育ちました。当時の流行語は「赤信号、みんなで渡れば怖くない」というもので、今思えば時代を見事に表すものでした。

自然と、大衆娯楽の一つであったスポーツにも興味が湧き始めます。プロ野球は毎日欠かさずテレビ観戦し、朝は読売新聞を読みながら「プロ野球ニュース」を見るのが日課になっていました。そんな環境だから熱狂的なジャイアンツファンになり、小遣いをねだっては選手名鑑など付帯するメディアを買い、二軍を含む選手全員のデータも記憶するようになっていました。当時の僕は、当時でいうところの「現代っ子」の典型...というか、最先端を行く「現代っ子」だったように思います。

では、当時でいう「現代っ子」とはどんなでしょう。最先端の現代っ子であった僕の体験を列記してみます。

・月曜日の朝、ワクワクしながら少しだけ早く登校し、教室の後ろのスペースで仲間とたむろする。
・先週末の「ひょうきん族」の面白いネタを再現し、爆笑を得る。
・大好きな中畑清が放ったホームランのすごさを話す。
・誕生日に買ってもらったグローブを自慢する。
・授業中、誰かが買っている「少年ジャンプ」を机の下で回し読みする。
・姉の買う「明星」や「平凡」で芸能情報を入手し、別冊で歌謡曲の歌詞を覚える。
・レンタルレコード店でマイケル・ジャクソンの「スリラー」を借りて、メタル対応のカセットテープに録音する。
・そのテープをダブルラジカセで友達にダビングしてあげる。
・姉はピンクレディの「サウスポー」のコスチュームを着て、歌って踊る。
・昼休みには「コブラツイスト」や「四の字固め」を決め合う。

「デジタルネイティブ」以前の世代の人々は、日本全国津々浦々で似たような体験を誰もがしていたのではないでしょうか。ゴレンジャーごっこ、仮面ライダーごっこ、誰もが正義の味方に憧れ、同じような善悪感を育んでいたのではないでしょうか。ピンクレディのモノマネをしていた女子は、だんだんと「たのきんトリオ」に恋心を抱くようになっていたのではないでしょうか。

情報欲が旺盛で1歳上の姉がいた僕は、こうした情報、男女問わず「トレンド」に精通し、クラスメイトの情報源でもありました。おそらく、どこの学校のクラスにも僕のような子どもが一人二人存在し、その子を起点に同じような情報が共有され、同じような価値観が形成されていったのではないでしょうか。当時の個性といえば「私はヨッちゃん(野村義男)がいちばんかわいいと思う!」や「ミー派」か「ケイ派」か、程度の違いだったように思います。そんな「マス」の社会において「大衆の中の一人」として「赤信号をみんなで渡る」ように育ったわけです。
教科書を覚えること。国が定める要綱に従い、先生が作成した「テスト」が教育の頂点に位置し、教科書の範囲内の知識を記憶することが「優等生」であった時代でもあります。僕らのような第二次ベビーブーム近辺に生まれた世代は「大量生産型」の社会構造の中、教科書とテストにより画一化された情報と知識を身につけていきました。テストの点数や教科書以外の出来事の方に強い興味が湧いてしまった僕は、先に列記した俗っぽい事柄や、歴史の教科書では数行しか書かれていない事柄ばかりに夢中になっていました。教科書に一瞬登場する「三国志」が何より大好きだったのがその例です。ただ、そんな三国志も「一般大衆向け娯楽小説」であったこともまた事実です。あれこれ書きましたが、俗世間から離れ、ワイルドに育った「オヤジ」とは正反対の環境で育った、というわけです。

いずれにしても、我々の世代、おそらく30代前半くらいまでは同じように「マス」情報、つまり新聞、テレビ、雑誌、あるいは教科書から情報を受信し、声が届く範囲内の人数で情報を共有するという「垂直受け身型」の情報伝達の中で、コミュニティを形成していました。すなわちそれは、教科書が一番のいい例ではありますが、「発信側」の情報発信に知識が限定されることを示していて、その発信者の意図をくんだ、限られた情報から価値観が形成されたのが「マス」世代の特徴だと思います。テレビ局が「電波法」による参入規制と「放送法」による内容規制によって管理されているのは、影響力が強過ぎたからに他なりません。

大きくいうと「マス世代」とは、「他と違うこと」を忌み嫌い、「他と同化する」のであれば「赤信号ですら渡って」しまえ、という世代や時代だと感じます。

ひるがえって、現代はどんな情報伝達経路でしょうか。
16歳の娘、13歳の息子、いずれもテレビはほとんど見ることなく、MacやiPhoneの画面ばかりを見ています。娘の10歳の誕生日プレゼントはMacBookでした。単純に、ほしいものがそれだったようです。本もKindleで読むし、映画もドラマもNetflixで見ます。そもそもYouTubeやソーシャルメディアなど雑多で広大な選択肢の中、本を読むかどうかも彼ら彼女らの興味次第なわけです。画面をうまいこと盗み見できない限り、何を見ているのか、誰と通信しているのかはまったくわかりません。

小さな画面の向こう側にはありとあらゆる情報があふれ、その情報がもみくちゃになっているコミュニティが存在しています。そこには、テレビでは厳しく規制されている参入障壁も内容のチェック機能もなく、煮込みすぎて具材の姿が見えないカレーのように、何が入っているのかまったくわからない状態でもあります。そんな世界観の中で、子どもたちは自分の興味を主体的に見つけていきます。これは善悪の問題ではなく、現実の世界なわけです。人と同じことが是である「マス世代」にとっては、とても危なっかしくて見ていられない世界といえるでしょう。例えば僕が学生時代に大好きで大きな影響を受けた「竜馬がゆく」ですが、僕にとっての坂本龍馬は司馬遼太郎が描く龍馬であり、自由奔放で活力に満ちた龍馬が今にも活字の中から飛び出してくるようなイメージが湧いてきたものです。より龍馬に触れたくなった僕にできることは「竜馬がゆく」を何度も読み返すことくらいでした。でも、息子は違います。子供から男になる時期を迎えた息子に坂本龍馬の話をして、僕と同じような体験を望みました。「竜馬がゆく」に感動してほしい。そう思いました。でも、息子はどうでしょう。スマホをクリックして、数分で「龍馬ってフリーメーソンだったの?」や「結局、龍馬って何やったの?」だの...。僕の心の宝物である「竜馬がゆく」とはまるで違う情報を、どんどん入手していってしまうわけです。

そんな風に、こちらが限られた情報の中で何を言ったところで、その何十倍、何百倍もの情報にクリック一つで次々とジャンプできてしまうわけですから、価値観の強要は彼ら彼女らにとってストレス以外の何物でもありません。「記憶」というこちらの持つ曖昧な情報の数倍のそれを瞬時に入手して、その真偽を自分で判断します。押し売ろうとしたところで、今度は感情を殺し、自分を消すことでコミュニケーションの断絶をはかられてしまいます。これは善悪ではなく、時代の違いであり、彼ら彼女らは、自ら興味のあることを自ら探し出し、その興味を自ら深掘りして行く「個」、すなわち「パーソナライズ」された人生のフォーマットが生まれた時から用意されている、ということなのだと思います。テレビをつければ「3時のあなた」と「3時にあいましょう」や「水曜スペシャル」と「木曜スペシャル」という画一化された番組が用意された中で育った我々と、人生のフォーマットがまるで違うわけです。そして、そんな彼ら彼女らがこれからの社会を作っていくのです。

我々「マス世代」ができること、彼ら彼女らに受け継ぐべき真の価値とは何でしょうか。

マスからパーソナライズへ
日本全国津々浦々、すべての子どもたちが同じことをする「大量生産型」の教育を、まずは見直さねばならないように思います。瞬時に教科書以外、教科書以上の情報に触れられる今の子どもたちに、バイアスのかかった狭い範囲内での「テストによる競争」を強要することはあまりにも不憫です。目の前に広大な広場が見えるのに「ここから出てはダメです。この中で遊んでいなさい」と括られているようなものです。「なぜ?」という問いには「テストにはこれが出るからです」という回答くらいしかできないのではないでしょうか。では「なぜテストでいい点数を取らなきゃならないの?」というさらなる問いかけには、適切な答えは見当たらないはずです。ひと昔前なら「いい学校に行って、いい会社に勤めて、安定した生活を得るためです」と言えたかもしれませんが。

ただ、第三次産業が主産業である現代では、職種は多岐にわたり、必要なスキルや在り方自体が多様を極めます。例えば、コンピューターのプログラマーやクリエイターにはいわゆる「社交性」というコミュニケーション能力の必要性は低く、反対に営業職のそれはきわめて重要なスキルとなります。現代の成功者とも言えるでしょうビル・ゲイツも、スティーブ・ジョブズも大学を中退していますし、日本でいえば伝記に出てくるような本田宗一郎も松下幸之助も学歴はありません。現代社会を力強く生き延びていくには「テストの点数より大事なものがある」ということを、子どもたちはグーグルに問い合わせることで瞬時に理解してしまうわけです。せっかくの少子化なわけですから、「マス」から「パーソナライズ」、すなわち選択科目を増やして専門性を育成するカリキュラムへ変更したほうがいい、と思ってしまいます。

スポーツでいえば、幼少のころからスポーツクラブで鍛え上げている大柄な子どもと、音楽が好きな小柄な子どもがまったく同じ体育カリキュラムを行うことへの疑問も湧いてきます。例えば組体操で怪我人が絶えないのは「パーソナライズ」の時代に教育現場が対応できていないことを示していると思います。より個人の特性にあった教育カリキュラムの開発や、家庭環境に左右されない奨学金制度の拡充など、「個」を重視する発想に立てば、より効果的な策はいくらでもあるように思います。音楽が大好きな子どもに、ハイレベルな音楽の授業が選択科目として用意され、より専門性が高い深い知識をもった音楽の先生がその科目の専任講師に就任したら、その子どもはどれだけワクワクすることでしょう。

でも現代社会を動かしているのはまだまだ「マス」の価値観です。教育現場では「平等」という言葉に縛られて、柔軟な対応ができません。「マス」社会を動かす仕組みは「中央集権政治」に集約されていて、すなわち「全国のお金や政治家を中央に集めて、その上で全国に配分する」というシステムからくる表面的な「平等」を意味するものです。これは「結果の平等(もっといえば悪平等)」とも言われています。そうではなくて「機会の平等」を与えること、つまり地方分権、権限移譲の推進。地域でのあらゆる政策により自由度を持たせること。特区など作っても、昨今の加計学園の問題のように、結局は「中央」がその特区を管理する以上、本質は変わらないことをよく理解できたように思います。政治は本来、人が作るものです。政治が人を作るのではありません。

「パーソナライズ」という個性を活かすべき時代において、適切な政治・統治体制に作り変えることが、我々「パーソナライズ世代」を迎え入れる「マスしんがり世代」の義務なようにも感じます。

地方分権の推進、例えば地域に教育の自由があれば、、、

我々が力を注ぐいわき市には、約40の中学校があります。いわきを訪れる際、時間が許す範囲で小学校や中学校を回りますが、どの学校もその物理的な基本構造は東京のそれと何ら変わらず...むしろ「かぴかぴ」に干上がり、雑草だらけのグランドやひび割れだらけの校舎を見れば、予算が厳しいのだろうなあ、ということは容易に察しがつきます。そもそも生徒数も減少しているそうです。そうであれば、中学校を15校に削減して予算を集中させ、環境を整えるのはどうでしょうか。野球場とサッカーができる陸上競技場を作り、放課後は市民やクラブチームに貸与します。部活動をアメリカのように「授業=正課」とし、指導者を教職員として雇用し、スポーツ教育の質を根底から改善します。すべての教室、体育館は冷暖房を完備し、緊急災害時の避難所としても有効な場所にします。同時に、それぞれの中学校の校長先生も全国から募集・選抜し、よりよい環境を作り出すために、中学校間での競争も促し、どの中学校に行きたいかも自由に決められるようにします。いわき市内の中学校がどんどん活性化していくのが、絵に描いたように見えてきます。

するとどうでしょう。

仮に僕が隣の郡山市に住んでいて、小学生になる子どもがいたら、いわき市に引っ越したくなるに決まっています。いわき市は元気にスポーツを楽しむ子どもたちがたくさんいる活気のある街になっていき、スポーツがもつ発信力を通じて、教育環境とカリキュラムの優位性が全国に発信され、知名度はぐんぐん上がり、流入人口は増加の一途を辿るでしょう。それを横で見ていた郡山市が指をくわえてただ見ているはずがありません。同じように教育改革に力を入れ...という競争原理が働き、地域活性化のサイクルが日本全国で回り出します。

真の「地方分権」はそんな「わくわくする未来図」を見せてくれるものだと思います。そして、これはさほど難しいことではないようにも思えます。日本、特に地方には広大な土地があります。スクールバスやシェアリングエコノミーを駆使するなど交通環境の改善により、地方の優位性である広大な土地を十分に活用できると思います。

では、なぜそれができないのでしょうか。

それは「皆と同じでなくてはならない」という価値観、つまり「マス世代」の価値観が今の日本を支配しているからだと思うのです。「マス」の価値観に基づき、「中央政府」で決める一つの制度に右へならえで従うこと。そんな価値観が支配している日本の統治機構の中では、スクールバスを使うことも、教育カリキュラムを変えることもできないのです。むしろ、そんな発想が生まれる素地すらないかもしれません。僕は東京都千代田区の中学校を卒業しましたが、そんな都心のど真ん中の中学校と、広大な自然に恵まれ、人口が拡散しているいわき市の中学校と、基本的に同じ成立条件を余儀なくされているのです。「結果の平等」「他との違いを忌み嫌う」という「マス」の呪縛が残念でなりません。

フラットなコミュニケーション
ドームは「フラットな組織」を標榜し、個人のアクティベートに力を入れています。具体的には、年配者や職責上位者が「威張らない」、若手と年配と同じ空気感の中で過ごすカルチャーを作ろうとしています。僕を含めて大半の社員が「マス」型のカルチャーを持ち、ややもすると「旧・体育会系」の縦社会で価値観を構成してきた者が多い会社です。なかなか簡単ではありませんが、とにもかくにもまずは僕が現代の「パーソナライズ」型人間に少しでも近づく努力をしなくてはなりません。

ドーム社内では7年前からセールスフォース社やマイクロソフト社と連携し、社内ソーシャルメディアの活用を推進しています。卓上の電話も5年前にすべて撤去しました。社会がソーシャルメディアを通じた新しいコミュニケーションによる同時多発的な情報共有の下に動いているのと、同じ動きをする必要があります。...よく考えたらごく当たり前のことですが。日常と仕事との距離を近づけ、世代や職責に関わらずフラットなコミュニケーションを取り、若手社員の発信力を高めることで、個々の情報や価値観のギャップを埋めていきます。ドームのIT&デジタル部が作成した社内コミュニケーションの概念図は次ページのような感じです。

そして、それを対外的な活動に当てはめてみると、

「いい商品を開発し」
「営業しまくって棚をもらい」
「有名選手を獲得し」
「広告を打って情報発信する」

という「マス」型の企業体質からの「根本改造」を目指す、ということです。「パーソナライズ」された世界観では、良質な情報は基本的に「スマホ」を通じて瞬時に大量に共有されます。同時に、雑多で数多な情報から「選ばれる情報発信」をしていく必要があります。有名雑誌やテレビCMという、限られた「マス」型の情報発信では、これからどんどん生まれてくる「パーソナライズネイティブ」の情報網には爪痕すら残せないでしょう。いわきFCも有明放送局も、長澤まさみさんのPVも、そんな「マス」型の情報発信からの変革への挑戦なのです。良質な情報をみんなが共有し、世界中の人々のあらゆるニーズが的確に拾われ、画期的な商品開発に繋がり、いわきFCの選手がそれを使用し、有明放送局で発信し、その情報が拡散されていく...そんな世界観が広がったらいいなぁ...と妄想は広がっていきます。

「愛される存在」を目指す
好きになるより好かれること。

個人の興味や嗜好が如実に浮き彫りになり、細かなコミュニティが形成される世界です。すべての起点は供給側ではなく、需要側に移っていることが「マス」から「パーソナライズ」のポイントといえるかもしれません。そんな意味では個々の「悩み」を拾える環境、そのためにフラットでカジュアルなコミュニケーション...というより、むしろ人間として当たり前の価値観が、これからの社会を作っていくのだと思います。
そういえば...

オヤジの特徴の一つに「知ったかぶらない」というものがあります。中卒で家業を継がされた「オヤジ」はそもそも、特に「知ったかぶれる」ような知識など持ち合わせていない、という前提なのでしょう。そして恐らくそれは見方を変えれば「威張っていない」おっさんであり、さらには「何でも気軽に話ができる」状態、つまりはフラットでカジュアルなコミュニケーションが自然と形成されている状態なのだと思います。そしてそれが「愛される理由」になっているのだと思います。そんな「オヤジ」には自然と若者たちからの情報も集まってきて、「知ったかぶり」をしている同年代よりも、明らかに豊富な知識を持っているようにも感じます。

そういえば...

「知らないことを知っている」

と、ソクラテスは言いました。知ったかぶること、つまりは自分の価値観を押しつけることが結果的に自分にどう跳ね返ってくるか、どう社会の発展を阻害し、息苦しいモノにしていくか...。そんな真理を説きました。そう考えると「マス」的な価値観から距離を大きく置いて育った「オヤジ」は、ソクラテスばりの偉人のようにも感じてしまいます。

より大きく、長い人類の営みの中で考えてみれば「マス」の時代は「瞬き」のごとく、ごくわずかな時間なのかもしれません。もともと人の営みは、大自然という大きな懐に抱かれた地域や家族という小さなコミュニティの中で、個々の魂がより活き活きと勇躍していたものだったのではないか。そんなイメージすら湧いてきます。スマホのおかげで「大衆の一人」ではなく、「純粋な個」という「本来あるべき人の姿」に戻っただけなのかもしれません。

とはいえ「オヤジ」のように「ワイルド」に生きるのは、僕にはとても難しいです。幼少から一定の価値観を植えつけられて育ってきました。「大衆の一人」として「競争に勝つ」。そんな価値観が「押してダメなら押しまくる」生き方になっていたかもしれません。ただ、「競争に勝つ」ことを目指したことで、「訓練して身につけること」「できなかったことができるようになる喜び」を、論理的に理解できているようにも思えます。

振り返れば、進学や結婚や就職といった自分の人生設計には、いつでも正反対であるはずの「オヤジ」の存在が何かと思考の起点になっていました。同じような失敗もしているし、「ワイルド」な生き様も、「なんて無責任なんだ!」とは思いつつも、見ていてとても痛快で、あこがれが湧いてしまうわけだから不思議なモノです。

そんな意味ではオヤジから多くの影響を受けた僕の人生ではありますが、中でも一番大きいことは、僕を「大学」まで出させてくれて、自分の好きなことをやり遂げさせてもらえたことにあります。少なくとも「オヤジ」は、自分の環境よりもよい環境を僕に提供してくれました。これが僕の「頑張る」最大のエネルギーかもしれません。つまり「オヤジ」がしてくれたように「次の世代によりよい環境を残す」こと。そこに漠然とした「使命感」を感じて生きてきました。その使命感が「押しまくる」生き方を歩ませたのかもしれませんし、同時にこうして「振り返って省みる」機会を与えてくれたのかもしれません。

「次の世代によりよい環境を残すこと」

そのためには、無為に戦うのではなく、強要するでもなく、「愛される存在」を目指すこと。羽田の海のような大自然に抱かれながら、心にゆとりを持ち、他から必要とされる存在となること。

愛するより、愛される存在。よし、10年後もその先も、社会に必要とされる存在になるために、大きな視点を持ち、他を受け入れ、違いを尊び、広く広く、突き抜けるような大きな心を持てるよう、訓練をしていこう。身体は鍛えて、栄養を入れて休養して、大きくなるものです。心も同様に、鍛え、知識を入れ、しっかりと休ませてあげて、大きくしていきたいと思います。


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※本コラムは、「Dome Journal vol.40」に掲載されたものです。
https://www.domecorp.com/journal/

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