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社長コラム:PRESIDENT’S COLUMN

vol.020ドームを設立した理由

私がドームを設立した最大の理由は「日本のスポーツ界に貢献したい」という思いからである。15歳の夏、ロスアンジェルス・オリンピックがあった。毎日毎日TVに噛り付き、またスポーツ新聞を穴が開くほど熟読した。「日の丸を背負って活躍したい」という淡く遠い希望と「なんで日本はぜんぜん勝てないんだろう」という悔しい気持ちとが相交わり、省みて、何もできずに独りよがりに熱くなっている自分を感じ、生まれて初めて「空しさ」という感覚を知った。

「自分にはいったい何ができるのだろうか」

15年という少ない人生の中で、もっとも印象に残る感情であった。

数年がたち、法政大学に進学、アメリカンフットボール部に入部した。アメリカンフットボールはスポーツとしてはかなりマイナーといえよう。ただ、医療面、トレーニング面、また練習の効率性という意味においては日本で最も進んでいるスポーツであるともいえるだろう。そんなことを感じながら法政での四年間を過ごした。

つまり、僕らの隣のグランドでは国内きって名門である硬式野球部が練習しており、猪俣さん(阪神タイガース87年ドラフト1位)や葛西さん(阪神タイガース90年ドラフト1位)、瀬戸さん(広島カープ91年ドラフト1位)など、「ドライチ」でプロ野球に進み、また大活躍している選手たちを間近で見てきたからに他ならない。同期にも今でも親交の深い高村祐(近鉄バファローズ92年ドラフト1位)が入団、彼はその年13勝を上げ見事新人王を獲得した。野球部の練習をすべて見たわけではないが、当時は少なくともウエイトトレーニング設備はほぼ「腐った」状態で、選手はその設備に座り適当に時間をつぶしているだけ、またグランドでの長時間のダラダラした練習もとても非効率に見えた。更にアメリカンフットボール部では常識だった「アイシング」をしている選手すら見たことがなかった。

当時、僕はアメフト部の主将としてチーム全体を様々な角度から見ていたので、否応無しに、近くで練習している硬式野球部の後進性と非効率さが目に付いた。「アイシングの方法を教えてあげたいなあ」とか「せっかくだから、ウチのウエイト器具使えばいいのに」とか「テーピングの巻き方を教えてあげたいなあ」と常々思っていた。僕ら、アメリカンフットボール部員は卒業したら、就職する。でも、彼らはプロ野球選手となって、小さな少年アスリートたちの「夢」を背負っていくのだ。もっともっと「いい環境」を提供してあげたい、という気持ちがどうしても湧き上がってきて、そんな思いが心に刻み込まれていった。オリンピックでの惨敗はできるだけ見たくない。。。

しのぎを削るスポーツ界はまさに日進月歩、技術、体力、設備、装備、トレーニング、リハビリ等々選手個人の力ではどうにもできないほど、周辺環境の進化は早い。僕が体験した法政での四年間は現在からすれば隔世の感もあるような話ではあるが、「どうにかしたい」そんな熱い思いが忘れられず、「脱サラ」してドームを設立したのが96年。スポーツの現場に足を運ぶたびに、怪我人への対応などメディカル環境がどうにも気になって仕方がない。また用具や物品の不足があればそのチームや選手を気の毒に思ってしまい「なんとかしてあげたい」という気持ちを抑えるのに一苦労する。

テーピング等医療消耗品の低価格化、アイシング等リハビリ製品の拡充により、日本の「スポーツメディカル」の環境改善に少しでもお役に立ててれば、という思いは今現在も全く薄れることはない。

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