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社長コラム:PRESIDENT’S COLUMN

vol.048変わる勇気

東京オリンピックに向けて、色々な動きがある。

ドームとしても僕個人としても、オリンピック関連の業務に携わる機会が増えた。

僕は、評論家でもなければ政治家でもない。
でも、仕事をする上で、納税している上で、成長を目指す上で... 「変えて欲しい」ことと、ついついぶつかってしまう。

自分で会社を始めたのは、必要以上に人に期待したり、頼ったりしたくないからだ。
もちろん今も昔もこれからも... 色々な人に頼って生きて行くだろう。でも、それと同じだけ、それ以上にそれらの人々のお役に立ちたい、そう思って頑張ってきた。国や行政に対して、こうして欲しい、と思うこと... もちろん国に大いにお世話になっているし感謝の気持ちは強い。世界各地を見てみても、日本ほど住みやすく、自由を謳歌できる国はそうそうないだろう。でも、同時に「こうすればもっと良くなるのに」と思うことや「こんな時代遅れの悪習を次の世代に引き継いではいけない」という思いが心に去来し、時にはストレスになり、時にはガソリンになり、僕の心を大きく支配する。

1600億円もかける予定の新国立競技場... 現在世界で最も高価なスタジアムの一つ、ヤンキースタジアムとほぼ同額である。でもその背景・使途はと言えば... "東京オリンピック"というたった2週間のイベントに向けた「見栄のための1600億円」と、年間70試合も超満員が確約され、より多くの稼ぎを生み出すため、即ち「投資としての1600億円」という根本的な相違がある。

このままでは巨額な赤字を垂れ流す「日本の古典芸能、ハコモノ行政のシンボル」と化してしまうだろう。そもそも陸上競技場でサッカーやラグビーをするという概念が、世界のスポーツマーケティングの潮流からかけ離れ、時代遅れも甚だしい。
米国のボールパークを模して作られ、年々収益を拡大しているマツダズームズームスタジアム、この建設費はたったの90億円である。日本のスポーツ行政にも少しだけ頭のいいリーダーが登場して適切に税金を使えば、真に地域経済や活性化に直結するワクワクするようなボールパークやアリーナがいくつも出来るはずだ。  

かつて日韓共同で行われたサッカーワールドカップでトルコ戦を行った宮城スタジアム、最寄り駅から徒歩で一時間、しかも片側一車線の道路なのでバスや車を使うにも大渋滞を伴い、5万人のキャパシティを運搬するだけのインフラがない。この建設費は約270億円である。
5万人もの利用者のロジスティクスを考えず、270億円ものハコモノを作るとはいったいどんな思考回路なんだろう。そのためサッカーチームがフランチャイズ化する訳でもなく、家主が居ぬまま毎年3億円以上の赤字が垂れ流されている。しかも次の東京オリンピックにおいて、サッカーの予選、たった1試合に使われることが決定... 即ち2020年までに20億円前後の税金が単なる維持費に投入されることになる。残念なことに、これらは日本の悪しきスポーツ行政のほんの一例である。

ではなぜ日本では、このように非合理なことばかり起こってしまうのだろうか。
大きく見れば、これら事例も各論の一つに過ぎず、モグラたたき的問題解決では何も変えられない。そもそもそれすらも出来ないのであるが... 根本解決しようとすればどうしても日本という国のあり方という問題に帰結する。

変えられない国、日本。

そんな、漠然とした空気感が日本をダメにしていると僕は確信する。
もちろん、良い部分もたくさんあるだろう。でも、適者生存という自然の摂理と同様、国家も周辺環境に合わせ全体最適化、即ち「変化」しなければ生き残ることは難しい。世界の環境が激変する中「変えられない国、日本」では、もともとキラキラ輝いていた良いところまでがどんどんくすんでしまい、完全な衰退スパイラルに陥ってしまうだろう。

何か新しいこと、変化を求めれば必ず反対が起こる。現状のいい部分を切り取ってヒステリックに変化を拒む。ただ、そのごく一部の良い部分がボトルネックとなって、結果として全体の力が低下する。野球に例えたら、最高にわがままだけど運動能力に長けた選手を四番打者に据えるが、結局は和が乱れ、チームがバラバラになる... そんな状況に似ているかもしれない。
一軒の(実はそれほどやる気のない)農家を補助金で守り続けるのか、日本の農業全体の強化を目指し、最適化・大規模化を図るのか... TPPの議論は正にそこに尽きる。農業政策などまるで僕の知る範疇ではないが、日本という国の特性を考えると、問題の根源は全て同じように見えてくる。部分最適と全体最適、ボトルネックとトータルスループット... 少し勉強している社会人なら誰もが知る基本的な生産性向上のロジックである。変えられない日本は部分最適とボトルネックだらけである。

辺鄙な立地に全くもって不釣り合いな形でゴージャスに作られたスタジアムが、日本各地に点在する背景の一つに「都市公園法」という制度がある。多くのスタジアムが「XX県総合運動公園」という公園の中に立地するのはこのためだ。この都市公園法、緑地の占有率や利用方法など一定の要件を満たせば、建設費の2分の1が国からの補助金で賄える、という法律だ。

つまり公園の要件を満たしながらスタジアムを作ることで、国から補助金がおり、地元の建設会社に仕事を発注できる、というハコモノ行政のメカニズムだ。もう少し分かりやすく言うと「公園建設費を国が半分だしてくれる、豪華なスタジアムを作れる... 結果、地元建設業者が潤い、建設族議員に票が入る」という仕組みだ。田中角栄の「日本列島改造論」に基づく「票生産システム」である。
建設業者と政治家にはメリットのあるこのシステムは、家主のいないゴーストタウンならぬ「ゴーストスポーツパーク」をいくつも作り出してしまった。そしてその後の赤字は市民で負担する、という何とも不条理な結果を招いてしまっている。娯楽が少なく、人口が増え、経済成長が続いた時代なら機能した仕組みであるが、成熟した日本においてはもはや弊害でしかない。

反対に、欧米では「ヤンキースタジアム」や「ドジャースタジアム」など「球団名=スタジアム名」となっているところが最も分かりやすい事例だが、ほとんどのスタジアムには明確な家主がいて、その家主の魂が宿ったスタジアムが圧倒的に多い。フェンウェイパークと言えばレッドソックスの歴史が全て刻み込まれていて、何から何までレッドソックスまみれ、レッドソックスの魂がそこにはある。オールドトラッフォードには脈々と続くマンチェスターユナイテッドの歴史と地元市民の魂が刻み込まれている。欧米のスポーツシーンではそれが「当たり前」なのだ。
阪神甲子園球場含め、日本にはここまでのホームスタジアムは存在しない。日本に一つでもこうした真のフランチャイズが誕生することを願わざるを得ない。そうすることで地価が上昇するなど具体的な経済が生まれ、地域の力が向上する、という欧米では「普通の事例」を是非勉強して欲しいものだ。

日本におけるスポーツビジネスが今ひとつブレイクスルーしないのは、世界基準の真のリーダーがいないからであろう。
国内の既得権、縄張り意識が強く、保身ばかりを考えているから世界の潮流を知ることはない。そこには最新の情報も適切な知識もない訳だから、正しい判断ができるはずがない。流れを大きく変えるには、色々な具体策があるだろうが、まずは「変えられない日本」の空気感を変えることだろう。そのためにはスポーツ業界関係者が、こうした事実や情報に触れ、感情を揺さぶられることだろう。今のままでいいはずがないのだから。

そんな意味ではスポーツ庁の設置も僕は断じて反対である。
スポーツ庁の新設は「変える」こととは正反対の「増える」ことだからだ。必要なのは産業化・民営化であって、官僚機構の増殖ではない。
日本の行政は、目先の対処ばかりで「変える」という「本当の的」を射ることがない。官僚機構は「予算の獲得と配分」がその存在目的であり、そこに従事する人々は自分の縄張りの保持拡大がモチベーションとなるため、どうしてもこうした「増殖」という解決策を生み出すメカニズムが働いてしまう。これがよく言う「焼け太り」の構造である。

スポーツ産業の発展は、


地域経済・内需・雇用拡大
未来を支える人材育成
健康増進・社会保障費削減

と、社会的に大いなる意義を持ち、事実、欧米など成熟国家では巨大な産業として年々急激な成長を遂げている。即ち、産業として成長することで、巨額の税収を産み、国家の財政に大きく寄与しているのである。

スポーツ庁が設置されてもスポーツ産業の発展に行き着くどころか、官僚達の天下り先がまた一つ増える、採算度外視の利益誘導の行政が拡大する、という既定路線が拡大継続するに過ぎない。これは、決して僕の持論ではなく、官僚機構がそういう仕組みという事実である。
日本全体の再浮上は横に置いておいても、せめてスポーツ界だけは欧米のような成長を目指し、官僚機構からの脱却を急ぐべきだろう。スポーツに関わるあらゆる仕組みや組織を徹底して民営化するべきである。民営化のメリットは財政にとどまらず、健全な組織運営にも効果を発揮する。
現在のXX協会のXX理事といった役職の人々はいったいどのような経緯でその職につき、どんな物差しで評価されているのだろうか。何の権限に基づき、何年その役職に居座っているのだろうか。「産業化はアマチュアリズムに反する」といった声も聞かれるが、僕から見たらこうした公設機関の私物化のほうがよっぽど悪質である。

また、東京オリンピックに向けて、日本はオリンピックへの強化費が低い、という一般論がある。本当にそうだろうか。
日本のスポーツ行政には、JOCに約80億円、日本体育協会に約80億円、そして日本スポーツ振興センターには約1400億円という巨額の国費が投入されている。これに国民体育大会の予算、約300億円~1000億円を加えると、3000億円近い国費が毎年スポーツ行政に投じられている。借金まみれのこの国において、この金額が少ないと誰が言えるというのだろう。スポーツ庁設置の目的はこの予算を取りまとめて統括的に管理する、という分配(バラマキ)の域を出ない。スポーツが成長産業となるべく、民間が運営母体となり経営目標を持ち、こうしたお金を「投資」として活用すべきだ。

「ビジョン」と「知識」と「90億円」あれば立派で投資効率のいいスタジアムが都市部の真ん中に作れるのだから。

・・・・・

まあいい。
とりあえずよしとしておこう。
日本が将来に向けて、まだまだチャンスがある、というノビシロにしておこう。

ドームが皆様と共に、日本のため、次世代を支える子供たちのため... そして我々自身のため、一つずつ変えて行こう。

焦る必要はない。目の前に広がるのは肥沃な荒野である。正しく耕すことで、将来の大豊作は明らかなのである。

自然や生命の神秘を追求するという生涯を送ったダーウィンは、

「変化できる者が唯一、生き残る」

こう自分の研究を結論づけた。

貧しい家庭に生まれながら、不屈の闘志と圧倒的な努力で世界的な発明王となったトーマス・エジソンはこう言った。

「絶えず変化を求める気持ちと不満こそが、進歩するために最初に必要なものとなる」

そうか... 不満だって必要なんだ。なんか勇気がわいてくるぞ。不満を気づきに変えてみよう。
変化をすることが成長に不可欠なのは真理なんだ。勇気を持って変化に身を投ずることだ!
一人ひとりがそんな気持ちを持ち、少しずつ攻める空気に変えていくことだ。

・・・・・

ん、なんだ? そういえば俺のPCの壁紙にこんな格言が書いてあるじゃないか。

「危険だ、という道は必ず、自分の行きたい道なのだ。ほんとうはそっちに進みたいんだ。危険だから生きる意味があるんだ。―岡本太郎」

本当は理屈なんかいらないのかもしれない。理屈が自分を縛っているのかもしれない。

生きる目的の希薄な現代
生命の危機を感じることのない先進国
おかしな事件が多発する成熟社会

感情を解き放ち、
大いに不満を持ち、疑問を持ち、
まずは気持ちの赴くままに
生きてみよう。
変えられないものなど、
何もないはずだ。

ありのままの姿をみせよう
ありのままの自分になるんだ
俺は自由だ... これでいいんだ!
少しも怖くないぞ!

Let it GO!!

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