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ドームヒストリー:HISTORY

2001突破口

米国本社と日本総代理店の契約を締結したアンダーアーマーにおいて、日本で最初に本格参入を試みた市場は、国内最大のスポーツ市場とも言える野球でした。それは日本でアンダーアーマーを普及させるためには、日本のスポーツで強い影響力を持つ野球市場に浸透させるのが絶対条件だったからです。しかし影響力が強いプロ野球選手たちにアンダーアーマーの機能を紹介するものの、機能面では好評価でも、身体にぴったりと密着するコンプレッションフィットのシルエットが恥ずかしいという声が多くあがり、なかなか受け入れてもらえない状況が続きました。

ところがそんな状況を一変させる出来事が2000年のシドニー五輪で起こります。米国代表の野球選手たちが全員アンダーアーマーを着用して試合に出場し、金メダルを獲得したのです。

当時ドリームチームと呼ばれ、プロ・アマで構成された日本代表を破り、世界一に登りつめた3A中心の米国代表の選手たち。日本代表の選手たちは、その先進的なウェアをスマートに着こなす姿を見て、ぴったりとしたシルエットに対する抵抗感が一気に吹き飛んだのです。この瞬間が、現在日本でも主流になったフィット系ウェアの突破口となります。

この時を境に日本のプロ野球選手たちは一転、「あのぴったりしたシャツが着たい」というラブコールに変わりました。そして2001年、誰もが知るプロ野球の主力選手たちがアンダーアーマーの主力モデル[フィット系長袖アンダーシャツ0032-2]を着用して次々とゲームに出場。同時にドームでは、「一人でも多くの選手たちにアンダーアーマーを紹介したい。着てもらいたい」という思いで、全国のチームに対面営業を行いました。当時の営業担当は4名でしたが、斬新なシルエットがテレビで放映されていくことも追い風となり、アンダーアーマーは、社会人・学生野球にも一気に広まっていきました。

着心地、動きやすさなど、実際に着用した選手の反応もとても良く、ドームが取り組んできたことは間違っていなかったということを確信した時でもありました。また、選手に直接商品を説明し、試してもらい、現場での声をもとに商品・サービスに改良を加えるという、現在のドームの軸となる「チーム営業」という手法がここで確立されていきます。そしてこの流れをくんで、ドームでは米国アンダーアーマー社より商品を輸入・販売する体制から、アジア各国のドーム委託工場にてライセンス生産を行う体制に移行し、商品価格の適正化とより迅速なサービスが可能となっていきました。

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