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ドームヒストリー:HISTORY

1996-1997ドーム設立の原点

アメリカンフットボールの選手だったドーム創業者安田秀一は、大学3年時にハワイ大学での合同合宿に参加し、そこで衝撃的な体験をしました。抜けるような青空の下、チーム名が誇らしげに大きくプリントされた広大な人工芝のグランド、映画館のように広いミーティングルーム、ポジション別に設けられた小さなミーティングルームに完備されたプロジェクター、チームへの誇りを物語るチームカラーが施された机・椅子。見たこともないほどの広大なウエイトルームで身体を鍛える、同じ大学生とは思えないほどの大きな身体を持つ選手たち。コーチ陣は全員がプロであり、仕事として大学のフットボールチームを指導しています。24時間コーチ業と向き合い、できる人は出世し、できない人は去っていく―そんな厳しい世界にいるコーチたちの卓越した指導力は、日本では体験したことがないものでした。ここで目にした光景は、何もかもが新鮮でした。そしてその分、日本のスポーツ環境の後進性と非効率さに気づいたのです。

安田が通っていた大学も日本では有数の大きな大学で、とりわけスポーツは非常に盛んでした。反対にハワイ大学は決して大きな大学とは言えず、フットボールが強い訳でもありません。また日米のスポーツ環境において、スポーツ用品の価格差も見逃すことができないほど大きな違いがありました。ヘルメット、スパイクをはじめ、テーピングなどのメディカル用品に至るまで、日本では非常に高額なのに対し、アメリカでは同品質のものがとても安く手に入れることができます。安田は、部の財政難に困っていた監督やコーチ、経済的な理由でスポーツを続けることができなくなった仲間を何人も知っていました。

「この違いは一体なんなのだろうか」
自分が大好きなスポーツ、そして一番誇りに思っているスポーツにおいて、飛行機にたった7時間乗っただけでこれだけの違いが存在するという事実。

「この違いがある限り、日本のスポーツは世界に取り残されていく・・・日本のスポーツ環境を何とかしたい。日本のスポーツを世界レベルに引き上げたい」
安田には、合同合宿を通じてこんな思いが心に刻み込まれていきました。そしてこの思いがドーム設立の原点となるのです。

大学卒業後、大手総合商社に就職するものの、ハワイ大学で感じた思いは色あせることはなく、そして1996年5月8日、チームメイトだった今手とともにドームを設立。最初に着手したのは、テーピングを中心としたアスリートの安全環境面を整えるスポーツメディカル商品の輸入販売でした。商社に勤めた経験がある安田は、日米におけるスポーツ用品の価格差が複雑な流通形態によるものであることを知っていました。そこで中間業者を通さない流通形態を構築し、当時1本500円したテーピングを1本180円で販売することに成功しました。こうして良質なメディカル商品を適正価格で購入できるスポーツメディカルのインフラが整備され、多くのアスリートたちがけがから救われるようになりました。

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