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社長コラム:PRESIDENT’S COLUMN

vol.044スポーツ産業をダイナミックに羽ばたく一大産業に

昨年より、日本オリンピック委員会(JOC)のオフィシャルパートナーとなり、また、フリースタイルスキーW杯の特別協賛を通じて全日本スキー連盟と協業したり、バスケットボールの日本代表チームとオフィシャルサプライヤー契約を結び、日本バスケットボール協会と協業したり... と、オリンピック関連競技の仕事が増えてきました。

それぞれ仕事をする上で、お互いに乗り越えなくてはならない壁がいくつもあり、乗り越えていく過程において様々な事実を認識し、そしてそれなりに解決策を見いだして、なんとか形を作ってきました。でも、はっきり言って、このままでは全然ダメです。何がダメなのか... 日本のスポーツが全然ダメ。そしてこれら仕事を通じてより鮮明に見えてきたのが「日本のダメさ」です。保守的で既得権が強く、心ある人や頑張っている人を疲弊させるようなシステムが出来上がっているようにすら思えます。

最近、世間を騒がせている全柔連の問題も、私がこうした仕事をしていなければ「なんてひどい団体だ」という世間一般と同じような批判と、表面的な解決策しか思いつかなかったと思います。でも、今は問題の本質がはっきりと見えています。それは、

「日本の統治機構」

です。日本の統治機構、即ちそれは「中央集権」であり「官僚制」に他なりません。
ここが問題の本質であって、あらゆる各論はすべて表面的な解決策であり、何をしても上滑りしてしまう、と思うのです。そんな意味では一つ目のボタンが「統治機構」であって、二つ目以降のボタンをかけ直す作業は徒労のように思えます。

「中央集権」や「官僚制」に対する解決策が「独立自尊」と「経営」です。

スポーツの仕事を追求していくことで、国家の成り立ち自体に大きな疑問を持つようになってしまったのですが、特に先の参議院選挙でとある政党が提唱していた「道州制」の導入というのが、日本を再び前進させる有効な道であると思うに至りました。「中央集権」や「官僚制」は、かねてよりやり玉に挙げられていますが、これは遠くにある政治の街の話ではなく今、目の前にある自分たちの問題です。

日本はアメリカと比し、人口もGNPも約三分の一を誇る「巨大国家」です。そのアメリカは文字通り合衆国で五十州に分けられていて、それぞれ法律も税率も違う独立自治を統治の基礎としています。各州はそれぞれ経営マインドを持ち、その土地の特徴や特性を磨き、州同士で切磋琢磨する関係ができています。それ故、地元意識は高く、地域に根ざすスポーツは田舎に行けば行くほど欠かせない存在となって町とともに繁栄をしています。
そのままのサイズで分ければ、日本も十五くらいの州に分割して、それぞれの州で独立自治を根付かせるべきだと思います。「中央集権」と「官僚制」を例えて言えば、一昔前の「厳格なお父さんがいる家庭」と同じです。お父さんは家族の意向など意にも介さず、財布を握り、住居を決め、食事を決め、学校を決め、結婚相手まで決めようとする... 家族はお父さんの意向に従っているうちに思考停止に陥る... そんな統治が現在の日本です。明治時代は当たり前の形だったかもしれませんが、今の価値観や家族全体のメリットを考えると、時代遅れも甚だしいスタイルです。また、日本の約半分の規模の国、イギリスもあまり知られてはいませんが、正式名称は「グレートブリテン/北アイルランド連合王国」で実際は民族も言葉も違う四つの国家の集合体です。

「中央集権」の日本は、全国津々浦々、老若男女から税を徴収し、中央に集め、それを中央の意思によって全国に分配する仕組みです。ルールも同じ。ラーメン屋を開こうとすれば、統一された安全基準など各種基準をクリアして営業許可をとらねばなりません。都会での営業も、離島の一軒でも同じルールです。実態にそぐわないだけでなく、地域の特性などまったく活かせない、まるで共産主義国家のような体制です。戦時など有事の際や戦後の復興を一致団結して行う時代には機能したかもしれませんが、ライフスタイルも価値観も多様化した成熟社会では「百害あって一利なし」の仕組みだと思います。

一見、スポーツと行政とでは関係ないように思われますが、欧米では行政とスポーツ団体が共通する価値 感と目標を持って収益の最大化と地域活性化に力を注いでいます。
一昨年、アンダーアーマーがマーケティングパートナー契約を結んでいる英国プレミアリーグのトッテナム・ホットスパーを訪問しました。トッテナムはロンドンに本拠地を構える伝統的なチームではありますが、大都市ロンドンにはトッテナムだけでなく、多くのサッカークラブが存在し、それぞれ地域ごとに熱狂的なファン層を作っています。東京で言えば二十三区それぞれがサッカークラブを持っているようなニュアンスかもしれません。私の出身地である大田区の人口は約七十万人です。島根県や高知県に匹敵し、鳥取県よりも多くの人口を持っています。東京出身の私としては東京という大きなくくりよりも、大田区により強い愛着を感じますし、大田区出身のスポーツ選手、現在契約しているプロゴルファーの薗田選手との「地元話」は果てしなく盛り上がります。

話は少し飛びますが、米国のスポーツ市場は過去十五年で約二・七倍の大きさ、約四十兆円規模にまで成長していて、その勢いは未だとどまるところをしりません。一方、日本は一九九六年の約五兆円をピークに下がり続け、今では約四兆円という何とも情けない数字になっています。前述した通り、国の規模はアメリカの約三分の一ですので、やり方次第では今の三~四倍の大きさ、即ち十二、三兆円くらいの市場規模になっても全くおかしくない計算です。因みに、米国の約四十兆円という市場規模は、自動車産業を凌駕する巨大なモノです。そんな巨大且つ成長産業としてのスポーツを、国、自治体、競技団体、そして民間企業とが協力して更なる繁栄を作り、応分の報酬を享受しています。

大田区に話を戻すと、大田区は東京にありながら沿岸部や河川敷が広く運動施設が数多くあります。大田区に自治権があって、経営マインドのある首長が誕生すれば、スポーツを財政の柱に育てることが可能だと思います。大田区と言えば、一昔前までは「町工場」の街として工業立国・日本を陰で支える存在でした。でも今は、数えるほどの町工場しか残っていません。
そこで「スポーツの街、大田区!」と称して、プロチームの誘致や各種大会・イベントなどを実施することで新たな収益源を作ることができるかもしれません。大田区には立派なスタジアムも体育館も練習場もたくさんある訳ですから、あとはマーケティング次第です。プロ野球の二軍のチームを誘致してもいいかもしれません。仕事帰りに大田スタジアムでビール片手にプロ野球観戦、若手の成長と今後の活躍に夢を膨らませる... 大田区の知名度の向上、興行収入や近隣飲食業など消費増進に寄与できると思いますし、何より立派なスタジアムを有効に活用できます。アメリカのマイナーリーグなどはまさにこうした地元密着の興行によって支えられています。基より、成熟国家においては第二次産業から第三次産業への収益構造の転換が不可欠なはずです。目に見える町工場の減少がそんな現実を如実に物語っていると思います。

更に、トッテナムに話を戻すと、とにかく地元との密着、試合当日の街をあげてのお祭り騒ぎはその地域の活力向上、そして消費の増進に大きく寄与していることが十分に感じられるものでした。
そんな中で最も感心したのが、プレミアリーグのチームは税制の優遇があるという事実でした。日本では一企業として普通に課税されるプロチームですが、ここでは地域に対する貢献度が高いという意味で税金が優遇されているというのです。
ちょうどその当時、日本で契約をしていた某大学のラグビー部の幹部の方から伺った話がありました。それはチームの貴重な収益源であるチケット販売の収益が課税対象とされ、納税しているという耳を疑ってしまうようなバカげた話でした。因みに、税制優遇をしているプレミアリーグ全体の収入は過去十五年で約七倍にまで成長しています。地域貢献による減税が再投資を促し、全体のパイを大きくしている図式と、教育機関である大学チームのチケット収入の微々たる税をセコセコ徴収する思考... どちらの方が税収が上がるかは小学生でも分かる計算です。ややもすると、そのうち部費まで課税対象になってしまうかもしれません!

このように、中央集権で官僚制の下では経営ビジョンが持てず、投資とリターンという発想が生まれません。それどころか無駄なお金が大量に消費されてしまっているという惨憺たる状況をも生んでしまいます。その一例は、毎年行われている国民体育大会、いわゆる国体です。この大会に投下される費用は約三百億円と言われています。ただその大半は体育館や競技場の建設、あるいは道路などの建設費用に使われているのが実態です。即ち、貴重なスポーツ財源が建設業者に流れる、というこの国お得意の図式です。全国各地に「国体通り」が多数存在するのはこんな背景がある訳です。
おまけに、国体の中身自体も、他県からの補強選手を多数起用する開催県が毎年優勝する、という出来レース大会であることも馬鹿馬鹿しさに拍車をかけます。「国体」自体には確立されたブランドがある訳ですから、県同士がガチンコで雌雄を決する国内のオリンピック、という位置づけにして、マーケティングに費用を投下し大会の価値を上げれば、集客やスポンサー収入、あるいはテレビ放映などで収益を生む大会に変革できるのでは・・・ という思いを強く持っています。ジャマイカのように小国でも俊足揃いを生む県が出てくるかも... と妄想するとワクワクするのは私だけでしょうか。

・・・
全柔連の様々なスキャンダル、特に裏金の問題などは官僚機構下にある各種団体、第三セクターなどでは普通に起こっている問題なはずです。スポーツ団体だからこれだけ叩かれてしまっているだけだと思います。本質的に経営のない「小遣い制度」の組織ではそうなるのは当然とも言えます。JOC管轄下の各運動団体は年初に行動計画を提出して補助金をもらいます。つまり、お父さんに「今年はスパイクが二足、グローブが一個必要だから、五万円ください」とせがむ子供と同じです。実際に買い物に行く子供はどうでしょうか。色々と工夫してコスト削減を図り、余った「お釣り」を自分の懐に入れてしまおう、と企てるのではないでしょうか。そんな子供を頭ごなしに責めることは私にはできません(自分がそうだったので)。 大人であれば、最初から割り当てられた予算を何に使おうと自由であるべきだと思いますし、そこに「経営」という概念をドーンと置くのであれば「三千万円の予算を投資として使い、四千万円の収入を得る」ことを目標にマーケティング活動に勤しむのではないでしょうか。「独立自尊」という志を持ち「経営」していけば、お小遣い制度から自ら卒業していくのではないでしょうか。いい歳になってお父さんにお小遣いをせがみ続けるのは、子供としても本意ではないはずです。子供をいつまでも子供扱いするのが「中央集権」と「官僚制」の決定的な欠点です。 現在の日本の各競技団体は、経営が根付いているプロ団体を除き、ほとんどがJOCか日本体育協会に属する団体となっていて、そこから落ちてくる補助金が団体の生命線となってしまっています。各競技団体は経営マインドがないため、補助金というお小遣いをねだっている状態から脱却できません。更に、JOCも日本体育協会も文部科学省の下に組織されている団体です。文科省の改革... 冒頭に申した「一つ目のボタン」である日本の統治機構を変えるのは、他力本願であと数十年はかかるかもしれません。でも、このままスポーツ産業がしょぼくれていくのを黙って見過ごす訳にはいきません。

・スポーツが 先頭を切って官僚統治から脱却する
・スポーツ団体が 独立自尊をスローガンに経営を導入する

経営には目標設定が不可欠です。即ちそれは収支目標です。更に経営には報酬と責任とがセットになります。実績を上げた経営者は応分の報酬を得、結果が残せなかった経営者は去っていく。こうした淘汰を経て産業は発達します。現在のスポーツ団体やチームは、程度の大小はあるにせよ、密室で人事が決まり、数十年トップが変わらないという私物化が横行してしまっています。スポーツの商業化に対する批判的な意見もありますが、私物化より数十倍も健全だと私は思います。 現在のJOCはメダルの目標は掲げますが、経営マインドが希薄なため、収支の目標設定には消極的です。米国オリンピック委員会(USOC)は経営の導入により国からの補助金に頼らない運営をしている、という実態もあまり知られていません。これでは日本のスポーツ産業はいつまでたってもジリ貧です。「スポーツ省を作る」という人も多くいますが、経営マインドのない官僚組織を新たに作ったところで、更なるコスト要素となり状況は悪化するばかりだと思います。 経営マインド欠如の例としては、先のオリンピックでメダルを量産したレスリングとフェンシングが挙げられます。それぞれ国内の競技人口は約九千人と約五千人です。しかも、アフター5や週末に一般の人が楽しめるような競技ではなく、どれだけメダルを獲得しても国民の健康増進には役立たず、経済効果はほぼ皆無です。にもかかわらず、それぞれ強化費として数億円の国費が投入されています。経営マインドがあれば、競技人口の多い種目、そして付帯産業が多い種目に投資をして産業として育成を図るのではないでしょうか。 例えば、スキーなどは競技人口が六百万人、付帯産業も宿泊など観光業、自動車や鉄道、リフト業者、お土産屋さん、用具メーカーなどなどその波及効果は計り知れません。 一般の人たちが楽しめる、市場規模の大きなスポーツに積極的な投資・強化をし、収益を最大化した上でマイナースポーツに再配分する、というのがとるべき経営手法であると思います。基より、日本にはオリンピック競技に属さず、補助金に頼らず立派に存在している競技団体が数多くあります。剣道や空手などの武道はその代表であろうし、こうした団体は自己開発というスポーツの本質的な価値を純粋に守っている団体と言えます。 また、炎天下の中、連日五万人規模の集客を誇る甲子園大会などをみても、有名無実化した国体のもったいなさを鑑みても、まずは国内におけるスポーツマーケティングの可能性をもっと追求するべきだと思うし、そんな意味では官僚機構下のオリンピック中心の思考や予算配分もそもそもどうしたものか、とも思えてしまいます。 補助金として多額の国費が費やされるオリンピック競技ですが、反対に国際オリンピック委員会(IOC)は毎年、莫大な収益を上げています。ロサンゼルス五輪以降、IOCがオリンピックのマーケティングに大成功したことがその大きな要因ですが、それはIOCがまさに経営を導入した結果に他なりません。そんな意味では日本のスポーツ行政も「使う」から「儲ける」ことへの発想の転換が必要なはずです。

 「統治改革」
   中央集権から独立自尊へ。
  「収益構造の転換」
   第二次産業から第三次産業へ。
  「成長産業」
   巨大産業としてのスポーツの確固たる位置づけ。
基より、健康増進、人材育成、地域活性化等々、いいことずくめのスポーツ産業です。まさにこれからが「スポーツの時代」です。 かつて、日本の近代化の基礎を作った福沢諭吉はこう言いました。

「門閥制度は親の仇」

欧米の事情や学問に精通し、その欧米諸国のアジア侵略という実情に危機感をもった福沢諭吉は、家柄やメンツを重んじ旧態依然として変革を排除する門閥制度による統治を「親の仇」とまで称しました。そして、日本人一人ひとりが「独立自尊」の精神をもって学問、思想、智徳を磨き、個人としての独立を勝ち得ねば、日本の独立は守れないと考え、日本の変革を思想面から支えました。

福沢先生の思想・行動を拝借する不遜をご容赦いただければ、私も評論家然とした批評をするつもりは微塵もありません。誰かの批判をするつもりもありません。すべては明治時代から続く旧態依然の制度が生んだ弊害に対する改善策とアクションプランです。官僚の方々、個人や団体が悪いのではなく、制度が悪いのです。

スポーツ産業をダイナミックに羽ばたく一大産業に変革する。

スポーツに身を置く誰もが、勝利に向かい、一直線に純粋に努力をした経験を持っているはずです。
スポーツの本質がそこにあるからこそ、今一度、「勝利=スポーツ産業の発展」をゴールに掲げ、携わるすべての人々と発展的な議論をし、努力をしていきたい、心からそう思うのです。

 スポーツから日本改革...

志を大きく、もう一汗、二汗... 火ダルマになって頑張る所存です。
皆様と志を共にし、一致団結して素晴らしいスポーツ業界・産業を作って参りましょう!
最後は勝利の美酒で乾杯しましょう!

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