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社長コラム:PRESIDENT’S COLUMN

vol.032暑かった今年の夏

言葉にならないほど暑かった今年の夏・・・

夏の風物詩である甲子園、前評判を見事なまでに覆した佐賀北高校が熱戦を制し、全高校野球の頂点についた。うだるような暑さの中、球児達が身体の一部分を削り落としながら、一球一球に全力を尽くす姿、そして全身から魂が抜けたかのような敗者の姿、そんな姿の連続に日本国民は熱狂、感動する。

そんな甲子園大会のさなか、毎年恒例になっているのが8月15日、終戦記念日での黙祷である。戦争などまったく知らない僕にとって、かつてこの日はたくさんある記念日のうちの一つ、あるいは9月1日に行う「避難訓練」と同じような類、程度にしか思っていなかった。

そんな僕の中に大きな変化が起こったのは、昨年「硫黄島からの手紙」という映画を観てからである。昔から、硫黄島という島で大きな戦いがあったことは知っていた。東京大空襲の話も知っていたし、原爆の悲劇、沖縄戦の悲劇も知っていた。反対に、日本が他国の人々に多大な損害を与えたと言う事もたくさん学んできた。戦後に生まれた日本人の一人として、戦争にまつわる悲劇は学校教育を通じて十分勉強してきたつもりであった。

でも、この歳、、、当時37歳だった僕にとって、映画「硫黄島からの手紙」で感じたリアリティーはあまりにも衝撃的であった。硫黄島・・・サイパン島と東京の丁度中間くらいに位置し、東西約8キロ、南北約4キロほどしかない、まさに「小島」である。そんな島で、今からたった62年前に、日米両国、数万人の犠牲者を出した歴史的な戦いが行われていた、と言う事実に改めて衝撃を受けた。そう、教科書を通じて戦争を学んだ学生時代とは違い、悲喜こもごもの人生の一片を少しずつ分かってきた年齢になっていただけに、改めて「現実」と向き合うきっかけとなった。

理由は分からないが、この「小島」に対して無性に興味が湧き、硫黄島に関る書物を漁るように買占め、一気に読みつくした。そこにあったのは、映画で観た衝撃を軽く吹き飛ばすほどの重い現実の連続であった。様々なことが頭をよぎった。

中でも、最も強く感じたことが「今ある幸せ」である。


若く、エネルギーに満ち溢れ、世の中の楽しさを知り始め、大人への階段を一歩踏み出したばかりの青年たち、彼らの過ごした青春は、南海の孤島への片道切符であった。

大所、高所からの戦争賛否論を繰り広げるつもりはさらさら無い。歴史の中の一ページ、あるいは一人の個人に起こった出来事として、この悲劇が存在する。避けることの出来ない現実、行き先すら知らされず突然舞い込む召集令状、一家の大黒柱、一家の宝である男の子を送り出す家族たち・・・

振り返って、僕の青春時代はどんなであっただろう。


親のすねをかじり、

先生に逆らい、

自動車を運転し、

コンパをやり、

偉そうな理屈を並べ、

将来の夢なんぞを語っていた・・・


とにかく楽しかった青春

俺なら何でも出来る!と、いきがっていた青春

キラキラ輝いていた青春


懺悔する必要などないかも知れない自分の青春。
とにかく、自分は青春を目いっぱい生き、目いっぱい楽しんだ。

そして、それは今でも遠くの島々で眠っている、数々の青春の犠牲の上に成り立っていたのだ。彼らの殆どは、16歳から30歳くらい。そう、今の僕よりもずっと若い年齢のまま、時計が止まっている。

なんだろう、この無常観は。
なんだろう、湧き上がってくるこの気持ちは。

少なくとも、今に感謝し、そして今を精いっぱい、真面目に正しく生きなくてはいけない、そんな気持ちが心を支配する。

硫黄島のみならず、世界の各地で、東南アジアの灼熱のジャングルで、太平洋の海底で、沖縄の穴倉の中で、日本の青春の数々が時計を止めて眠っている。

今年の夏よりもっともっと暑い島。

明るい未来への希望など何もなく、食べ物はおろか、満足な水も無く、自らの排泄物にまみれながら、重い装備を背負い、穴倉にこもり、ひたすら敵を待ち、戦い、名も知られること無く果てていった魂の数々。心ある人々が今でも粛々と遺骨収集活動を行って下さっている事実を知り、ほんの少しだけ心が安らぐ・・・


暑い甲子園
熱い青春と熱い魂


世界の青春の数々が、平和にそして憂いなくキラキラと輝けるよう、私たちは現実に目を向け、歴史を学び、努力し続けること。

少なくとも、今の自分に出来ることは「今あることに感謝」。

目いっぱい謳歌した青春。自分が自分なりに生きていけるこの現実。この当たり前の現実に、とにかく感謝。そして自国を支えるために命を捧げた全ての人々の尊い魂の力を借り、正しく誠実に、世の中が少しでもいい方向に向かうために、微力を捧げたい・・・そんな風に思う今年の夏であった。

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