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社長コラム:PRESIDENT’S COLUMN

vol.025「笑う門には福来る」

人相... 笑顔は生きていく上で非常に大切な要素であろう。
自分が、チームにおけるリーダー格であったり、会社において部下がいたり、家族の父親であったり、立場は様々であれ、笑顔が与える周りへの影響はとても大きい。一日中冗談ばかり言っているような家庭に育った私にとって、笑いのない家庭など想像することはできないが、友人や会社のドームのスタッフの話を聞くとどうも笑いの全くない家庭、というのも存在するらしい。

家庭だけではない。むしろ、社会人というのは会社にいる時間のほうが長い。
では職場の環境はどうであろうか? 私の前の職場はまったく笑顔のない職場であった。みんなが苦虫を噛み潰したような顔をして働いていた。忙しい事、困難に立ち向かっている事が賛美の対象であるかのような空気に包まれ、「楽しく明るい職場にしよう!」などという考え方はおろか、朝の「おはようございます」すら口にするのが憚られる雰囲気であった。どんよりとした空気にあふれ、とにかく居心地が悪かったのを覚えている。
私はやっぱり元気にニコニコ、いつでも楽しく過ごしていたい、と思うタイプである。苦労は明るい将来のためにするもの。そう思うと目の前の苦労は苦労ではなく、幸せのための準備のような気持ちになるものだ。昔の体育会というものもかなり厳しく、私が学生の時はそれこそ毎日が地獄だった。でも、練習後に同期だけで浴びるシャワールームは素っ裸の若い男だらけ、それこそブラックユーモアの宝庫で、そこには放送禁止用語もなければ生活指導の先生もいない。とにかく毎日の厳しい練習を乗り越えられたのも、あの楽しいシャワールームやロッカールームがあったからだとも思えるくらい、愉快で明るいものであった。

現場の動きを伝えるドームの「レポート」

ドームでは「レポート」を非常に重用している。
営業に行けば「営業報告」、会議をやれば「議事録」、他社との打ち合わせがあれば「面談記録」など、全員が書き、全員がそれを読むのがドームの日課となっている。ユーモアあふれるレポート、記述内容があまりにも細かくて読むのに一苦労するレポート、営業先での風景がまるで映像でも見ているかのように感じられる臨場感あふれるレポート、などなどその内容は多岐に渡るが、自画自賛させてもらえればドームスタッフのレポーティング能力は極めて高い。
感じたことを書く、それがレポートの基本である。自分が本当に感じたことを書こうとすると、「上手く伝えたいという気持ち」が芽生え、自然に文章能力も上がってくる。非常にいい循環だと思っている。レポートを一枚書くのはそれなりに労力はかかるだろうが、楽な仕事など存在しない、それこそ笑顔で楽しくやって欲しいものである!

そんなレポートの中でも、やはり一番読んでいて楽しいのが学校のクラブやチームに直接営業に行く、ドームの営業第三部(当時)のレポートである。
日本ではいろいろなスポーツが行われていて、とにかくたくさんのスポーツチームがある。強いチームもあれば弱いチームもある。チーム力の向上に役立つ情報にあふれたチームもあれば、そんなものに全く無関心のチームもある。人数の多いチームや少ないチーム、少なくてもまとまったチームなどなど、まさに10チーム10色だ。選手達の写真を貼り付けたレポートも多く、特に練習後に撮られた写真では選手の顔が一様に明るく、生き生きとしていて、昔の楽しかったロッカールームを思い出させてくれる。

チームカラーも様々だ。合宿所に暮らし、監督さんの厳しい管理下に置かれているチーム、自主性を重んじているチーム、科学的な理論を積極的に取り入れているチーム... と本当にスポーツとは多種多様で奥が深いものだ、と感じざるを得ない。ただ、そんな中でも、最近は徐々に科学的なアプローチを重視しているチームや、自主性を重んじているチームが増えていると感じる。また、そんなチームの方が強くなってきているとも感じている。
これは指導者の方々が年々学習している証左であるとともに、「時代」といってしまえばあまりにも漠然としているが、そんなものが徐々に変わってきている結果であると思えてならない。

私が学生の頃は練習中に水を飲むことは絶対に許されなかった。ただそれは特別なことではなく、どんなクラブもほとんどがそうであった。私の所属したクラブでは、私が卒業した翌年から練習中に自由に水が飲めるようになった。監督は同じ人であるにもかかわらず! そしてその年に全国優勝までしてしまったのだ!

もちろん、「水」と優勝が直結しているとは思えないが、監督自身が経験から学び、また先端の情報を得ること...むしろ、本質を追求してその本質に向けて変革を行っていた結果がそのまま現れたのだと私は思っている。
今でも毎年、高校時代の監督を連れ出して食事に出かける。そのたびに監督は「いい槍玉」である。「僕らのときは水も飲ませてくれなかった!」「監督が二日酔いで目を腫らしてくる日は特別に練習が厳しくなった!」「俺なんて何度監督に蹴っ飛ばされたことか!」などなど、監督もこのときばかりは「馬鹿やろう! 時代は変わっているんだよ。俺が学生のときなんて、もっとひどかったぞ!」とやり返すのが精一杯である。

科学的アプローチと自主性の時代へ

今年、日本選手団の大躍進で終わったアテネオリンピック。私はやはり時代の変化にようやく日本のスポーツ界が追いついてきたように思えてならない。10数年前のオリンピックでは、金メダルを期待された多くの選手達がメダルすら取れずに呆然としている姿や、プレッシャーに打ち勝ってようやく金メダルを獲得できた選手達が感涙にむせんでいる姿が本当に印象に残っている。
そこでは悔しさや喜びではなく、また技術や体力といった話でもなく、いつでも「重圧との戦い」に焦点が当てられていた。「日本選手団はまだまだ精神的に甘い」というのが当時の指導者やマスコミの言い分であった。

それが現代ではどうだろう。まだまだ記憶に新しいシドニーオリンピックでの田島寧子選手の「めっちゃ悔しい!」やアテネオリンピックの北島康介選手の「ちょー気持ちいい!」など、選手が周りからのプレッシャーを感じることなく、自分個人の感情をむき出しにした台詞がとても印象的である。勝っても負けても選手達は一様に清々しく、そこには過去の選手達に感じられた悲壮感は全くもって希薄なのである。勝った選手達は皆、涙よりもこぼれんばかりの笑顔・笑顔である。その日本選手団の成功の根底にあるのはやはり、科学的なアプローチと自主性を重んじた管理体制であると私は考えている。根性論や昔からの伝統的な手法を取りやめ、科学的なアプローチを行うことで技術は向上し、記録が伸びる。選手は心からその手法に納得するので、練習もより効率的になる。理論的に納得さえしてしまえば、勝ちたいのは選手本人のはずである。指導は指導、技術面、精神面、色々なサポートが必要であることは当然としても、やはりやるのは選手だし、メダルをもらうのも選手なのである。自分で納得いく練習をすることが本当の自信につながり、またその自信がますます練習への意欲を生む。そこには健全な「自主性のサイクル」が芽生えるのだ。

どんなときでも笑顔・笑顔

仕事の世界も楽ではない。スポーツとは違い、明確なルールやスケジュールがない分、覚えなくてはならないことは限りなく広く奥深い。汚い手を使ってくる競合相手もいるし、そもそもとても敵うとは思えないような強い相手もたくさんいる。一年や二年で結果が出る事など中々ない。そんな時こそ、大事にしたいのが「笑顔」である。
私は笑顔が現代社会のバロメーターだとすら思う。仕事の進め方、そもそものコンセプトが科学的で理屈にかなっていれば、苦労は単なる苦労ではなく、将来の成長に向けた準備として、自然に受け入れられるモノになる。プレッシャーやストレスに包まれた環境では自然と「しかめっ面」になり、しかめっ面になったら自分に意見を言ってくれる人、適切な指導をしてくれる人がどんどんいなくなってしまう。反対に、苦労はしていても未来への明るい希望があれば、そこにはかすかな自信と困難を乗り越えようとする「気」にあふれ、自然に明るいムードができ、人々は笑顔になっていく... そんな風に感じる昨今である。

ちょっと待て...「笑う門には福来たる」いつ、誰によって「発明」された格言は知らないが、日本にはこんな素晴らしい言葉があるではないか!

理屈にかなっていないことを無理にやろうとしても笑顔になるはずない。反対に笑顔を作ろうと思い、日々をすごしていると自然に回りへの気配りもできるようになるし、色々な人が助けてくれるし、適切なアドバイスもくれるではないか!どんな時代も本質は変わらないのかも知れない。とにかく、鏡をみて、自分の顔を見てみよう。どんな時でも笑顔・笑顔。笑う門には福来たる。笑顔が上手く作れない人は、何かどこかで無理をしているはず。今日も一日、まずは笑うことからはじめてみよう。

皆さんは上手く笑えますか? 誰もがあなたの素敵な笑顔を見たがっています。
自分の本当の笑顔、隣の人の素敵な笑顔を求めて今日も元気に頑張りましょう!

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