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社長コラム:PRESIDENT’S COLUMN

vol.024「素晴しきスポーツ業界」

私は「スポーツ業界」において日々働ける事に心から感謝している。

スポーツとは人々にとって、エンターテイメントであったり、自己研鑽のツールであったり、職業であったり、空白を埋め合わせるパートナーであったり...と様々な意味を持っている。「スポーツ」に関わらずモノゴトとは、その成り立ちから見ても、存在意義そのものにおいても変幻自在な多面性をもっており、一言でどうこう評価する事はきわめて難しい。ただ、私個人として僭越ながらスポーツを一言で集約して表現するならば「前向きである」というフレーズにたどり着く。

そもそも、スポーツは本来「人の生活になくてはならないモノ」ではない。人間は「着る」「食べる」「寝る」さえ出来れば、殆どの人々はその生涯を普通にまっとうできるはずである。スポーツとは「わざわざやる」モノであり、その「わざわざやる」背景には「前向きな姿勢」という当たり前ながら、忘れがちなモチベーションが存在する。私は幼少の頃からスポーツに慣れ親しむ事により、この「前向きな姿勢」というモノを知らず知らずに身に付けていったような気がする。

私にとって、小学生の頃の夏休みの宿題は「やらなくてはならない暗黒的義務」であったのに対し「学校プールでの水泳教室」は行っても行かなくてもいいものだが、嬉々として休まず皆勤した「明るい任意行事」であった。私のような「ワンパク型小僧」にとっては当たり前といえば当たり前すぎる事実ではあるが、「任意の行事に参加する」という事実を少し掘り下げて考えてみると「楽しいので」「自発的に」「行動する」という背景がそこにはある。「楽しい」はモチベーションとなり「自発性」は向上心であり、「行動」はすなわち努力である。「モチベーション」も「向上心」も「努力」もすべては「前向き」な生き方を構成する「善性の要素」である。こんな風に分析していくとちょっとややこしくはあるが、そんな「善性の要素」を醸造していったのは単なる「小学校のプール」なのである。少々大袈裟に言ってしまえば、人間が本来保有する「善性な要素」の集大成が「スポーツ」ともいえるのではないだろうか。

本来、人の生活に必要でないスポーツがこれほどまでに人々の生活に深く根付いている理由を考えたら、大げさすぎるという事はないであろう。朝、一時間早く起きてジョギングをする人、会社の帰りにジムに立ち寄ってトレーングする人、週末の貴重な休みを使って草野球をする人、土砂降りの雨の中、喜んでゴルフに行く人などなど。どれもこれもまったく生活には欠かせないという行事ではないにもかかわらず、すべてがその人の人生を「明るく」そして「健康的」に「いい方向」へ彩りを付けていく、とても重要な要素になっているのである。

21世紀という新しい時代を向かえ、オリンピックの聖地、アテネでの大会をひかえる2004年。日本に的を絞ってみれば、戦後の復興から昭和のがむしゃらな繁栄を経て、人としての新たな価値観、つまりは生き方自体を問われているのが我々、現代を生きる人々である。「作れば売れる」というモノ不足の時代から「ニーズを追う」「ニーズを作る」という付加価値の時代へ。消費社会を一回りした我々現代の日本人は今、「生き方」自体を問われているのである。朝まで酒を飲んで酔いつぶれるのも、自宅に引きこもるのも、四六時中携帯メールをするのも、朝までプレステで遊ぶのも... たぎる熱い血潮をグランドにぶつけるのも、仲間とともに明るく汗を流すのも、健康のためにジムに通うのも... 年金を払うのも、自衛隊をイラクに派遣するのも... すべては我々一人一人に具体的な選択権がある、つまり「生き方」が問われているという事なのである。

スポーツ業界にいることで、人々を幸せにできる可能性がある。前向きな生き方を提供できる可能性がある。人と人との心のつながりを知る事ができる。そんな素敵な職場にいられることに幸せを感じるだけでなく、「よし今日も頑張ろう!」と心から思えるような「前向き」な精神を持てるのである。スポーツとはなんと素晴しいものであろうか! 21世紀はスポーツの時代。何をしても生きてはいけるこの現代。生き方を問われていればこそ、前向きな精神が世の中をいい方向に導いていく。そして、世の中にとってあまり意義のないモノゴトに参加している人々、意義のないモノゴトにお金や時間を費やしている人々が、徐々に本質的な善性への欲求に気付き始め、スポーツ業界がより発展していく。そんな時代だと私は思っている。

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