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社長コラム:PRESIDENT’S COLUMN

vol.010宝物はグランドに... アメリカンフットボールの話 その5

一番嬉しかった瞬間

人生において、「一番嬉しかった瞬間」をはっきりと明言できるということは本当に幸せなことだと思う。僕にはその「瞬間」がある。それは大学三年生の春、日大フェニックスとの定期戦での「一瞬」である。

32年間の短い人生ではあるが、その間僕なりに色々なことを経験してきた。でも、まだまだこの一瞬に味わった、あの身体の芯から込み上げてくる興奮をとても忘れることが出来ないし、今後の人生においていうならば、とにかく一日も早く「あの瞬間」を越えるような経験をしたくてたまらない。20歳の時が人生の頂点なんて、まっぴらゴメンではある。

・・・その瞬間とは、日大フェニックスから初めてタッチダウンをとった、三年生の春の定期戦である。その翌年、日大の60連勝を阻むことになり、各種マスコミに取上げられたりして、一躍注目を集めることになったのだが、当時はまるで話題にもならなかった。僕にしてみればそんな周りからの評価よりも、自分自身が感じたあの瞬間... 暗黒の中、不安だらけ、自分だけを信じてひたすら進んでいった洞窟の中、一筋の光がチラっと見えた瞬間が「光り輝くダイヤモンド」なのだ。

日大フェニックスは当時、無敵を誇り、過去3年間において公式戦はモチロン、練習試合でも負けたことがなかった。更に、その前年の定期戦、「打倒日大マニュアル」を作成して当時の僕のありったけをぶつけた結果、総獲得ヤードが160ヤード程度、奪ったファーストダウンは確か2つという、「大人と子供」の対戦のような対戦結果であった。

当時は対戦結果から、何かを導き出す、などという「対策的対処」は全く持ってナンセンスなほど、自力に劣っていた。とにかく、自分達のキーとなるプレー、もっというと「フィロソフィー」の確立が急務であった。このフィロソフィーの確立というヤツが何とも厄介である。対戦相手の分析や傾向の検証などはパズル合わせで、単なる力仕事である。パズル合わせは「こうすれば勝てる」、という本質的なものにはなり得ない。とにかく、先ずは自分達の実力を最大限高めるしかない。でも、そこに「指標」や「雛型」はまったく存在しないのだ。過去にやっていたプレーや負け続けていた先輩達の教えなど、まるで参考にはならない。全く歯が立たないという実力差を短期間で埋め合わせるには、一度リセットして、あらゆる仮説を立てて、全てを検証し直し、一から再構築する必要がある。ただ、当時はそんなロジカルな思考などなく、単に「このままじゃ絶対に勝てない。何かを変えないと、、、いや、全てを変えないと」と思っていた。三年生ではあったが、「来年には」などという気持ちは微塵も無い。とにかく、目の前に立ちはだかる「歯が立たない相手」を倒さなければならないのだ。 正に「暗中模索」、手探りで自分の信じる道を突き進むしか方法はない。

大学ニ年のシーズンオフ、僕自身はまだ二軍の選手だった。体重80kgにはなったけれど、まだまだレギュラーポジションを獲得するまでには至らなかった。ただ、「どうすれば強くなるか」という具体的な手法はこの二年生の時に掴むことが出来た。つまり、当時の大学一部リーグの「選手」としての「指標」は得とくしていて、とにもかくにもそれを実践していけば、十分闘える、という手応えは感じていた。その一つの指標は相変わらずの「増量」である。レギュラーポジションを獲得し、強敵と伍して戦うにはあと10kg必要だ。オフシーズン、元旦も休まず、ランニングとウエイトを続けた。走りながら増量するのはそれなりに大変だったが、下半身の筋力強化に励んだ結果、体重は92kgまで増量することができた。走りながら、また筋力UPをしながら増量していったため、身体は絶好調で実際、スピードも上がっていた。

ただ、シーズンイン当初は同じポジションには副将の4年生が二人、昨年からのレギュラーポジションを引き続き確保していた。で、この戦いに勝たねばレギュラーにはなれない...で、結構簡単にレギュラーを取れた。当然嬉しかったし、勝ち取ったポジションというのは本当に居心地が良かった。憧れに憧れたレギュラーポジション...、でも、そんな個人のことも大切だったが、チームを強くしたい、という気持ちのほうが強かった。人間は何とも貪欲である。

紆余曲折...で、その三年の春の定期戦、練りに練った戦略を立てて、「打倒日大」を目指した訳だが、詳細はさておき、結果は12対6の惜敗で終わった...。

「鉄壁」だった日大から1つのTDを取ることができたのだ。個人として実力が上がり、ポジションを取れたことはそれなりに嬉しいし、やり甲斐もある。ただ、オフェンスを仕切っている立場としての責任の方が数十倍も重い。オフェンスを仕切っている「オフェンスコーチ的立場」として、ゲームにおける確たる自信があるべくもなく、先輩達を含め「これで勝てる!」といい続けることは、「20歳の青年」にとっては精神的にかなり厳しいことであった。でも、「リーダー」として、そう言い続けて引っ張り続けるしか道はないのだ...。

勝負は「勝つ」か「負ける」か、2つしかない。当然、「勝つ」ことを前提にすべてを「やる」必要があるのだ。

実際、それほど効果的なオフェンスを組めた訳ではない。イッパツのスペシャルプレー、オプションからのリバースプレーでのロングゲインがTDへの大きなポイントであった。 当時の僕自身、過去においてリバースプレーが成功したのをあまり見たことがない。ただ、僕の造ったリバースプレーは一見オーソドックスであるが、キャリアの走るアングル、オフェンスタックル(僕のポジション)の微妙な動き等々、「出るべくして出る」オリジナリティー溢れるリバースプレーであった。(実際、この年とその翌年、このリバースプレーは電光石火の切れ味を見せ続けた。)

僕のトイメンの動きが激しくなってきた。つまり過敏な反応をしてきている。「今手、こっちにリバースやって」と左のリバースを入れた。QB今手からのピッチが直接、4年生のベストアスリート、引間さんに飛んでいく。想定通り僕のトイメンのDEは浅いアングルからトレイルに入っていた。煮詰められたアングルをそのまま走る引間さんとは完全にすれ違う角度だ... 「やった!」独走である。日大独自のリアクションの速さが奏効し、全員がオプションに反応したため、完全な独走になった。これはTDかもしれない... と、いう淡い期待がこみ上げてきな次の瞬間、エースDBだった日大、松岡選手が引間さんをエンドゾーン5 ヤード手前で止めた。王者日大の執念を感じざるを終えなかった。そしてそのエンドーンの遠さを感じざるをえなかった。ここまで攻めこまれている日大はしばしば見てきている。でも、どの対戦相手もこの5ヤードが進めないのだ。やはり、トリッキーな「イッパツプレー」ではTDを取ることは出来ない...

ビッグゲインを取った喜びと結局止められてしまい、最難関の「5ヤードの壁」を目前にし、なんともいえない複雑な気分で、ハドルに返った。複雑、、、というかむしろ落胆に近い気持ちであった。「やはり駄目だった、俺達はまだまだ甘い。日大は僕らの手の届くものではない...」

高校の時は一人、レギュラーポジションを確保できなかった今手。そんな今手はどんな時でも冷静沈着、決して他人のミスを責めることのない男だ。どんな状況であれ、慌てることも、浮き足立つこともなく、その瞬間のベストな方策を考えることができる。プレーはさておき、いつのまにかオフェンスチームの精神的な支柱となっていた。落胆しながらハドルに戻ると、何のこともない様子の今手が「フリーズキープ右」とコールした。全くやったことの無い、新しいプレーで QBがボールを持って強引にインサイドを走るプレーである。なんでそんなプレーを選択したかはさっぱり分からない。僕は絶対に「でない」と思った。5ヤードだから、もっと固いランプレーでヤードを刻みたかった。でも、今手は「自分で取る」自信があったようだ...。

スナップが出され、反対サイドのラインマンである僕はダウンフィールドに出た。すると凄いスピードで走る「鬼神」のようなオーラに満ち溢れた今手の後姿が僕の2ヤード前方に見えた。次の瞬間、日大のエースLB、高野選手が今手に強烈なタックルをかました... が、鬼のような気迫で走る今手はそのタックルを「一撃」で撥ね退け、見事なまでの「スタンディングTD」を決めた...

頭が空っぽになった。でも、その映像と「鬼のような走り」が頭に焼き付いている。頭上にのしかかる分厚い暗黒の壁が崩れ落ち、溢れんばかり眩しい光で、目の前が真っ白になった。本当に目の前が「眩しい光」で真っ白になった...

と、かなりマニアックでフットボール通しか分からないような内容になってしまったが、とにかく、この瞬間が僕の「人生No.1の瞬間」なのである。他人の評価や残した実績、ビッグゲームでのスーパープレーなんかではなく、「グランドのゴミ」から「はい上がった」ことが自分で確認できたこの瞬間が、もっとも「嬉しい瞬間」であった。つまり、他人の評価などより、自分で勝ち取った「自分だけの証明書」を手に入れたことの方がよっぽど嬉しかった訳だ... とにかく、「はい上がった。暗黒の世界から、ようやく地上に上がれた。」実際は「地上の光」が微かに見えたに過ぎないのだが... そんな気分だった。

以来、自分の出来ないことでも、最初から諦めることはしない。「何でもやればできる」というふうに思う人間になった。「"できない"とは"やっていない" こと」つまり、サボっているだけ、というふうに思うようになった。この「思考」には多少の尾ひれ背ひれがついているのだが長くなるので割愛...で、とりあえず僕は「できないことはない」と思って生きる「面の皮のブ厚い」人間になった訳だ。

図々しいことは百も承知だが、思っているだけなので誰にも迷惑はかけていないからいいじゃないか! とにかく、当時の日大からタッチダウンをとったということは、「グランドの粗大ゴミ」だった僕にとっては大きな事件で「積極的な前向き人間」を一気に通り越して「本当に図々しい人間」になってしまった訳だ。

と、昔を懐かしみながらのフットボール回顧録です。普段はまるで思い出すことはありません...。

言えること! 悪いことあれば、いいこともある。出来ないことは何もない。
毎日毎日、謙虚に努力と勉強、新しいことにチャレンジし、不可能を可能にしていくのである!

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