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社長コラム:PRESIDENT’S COLUMN

vol.007宝物はグランドに... アメリカンフットボールの話 その3

「ビジネスは最高に面白い。でもね、フットボールで飯を食って行こうというのは単なるの妄想家か、本当の本物だけだ。」ドームのパートナーであるUnder Armour社のライアン・ウッド副社長はこう続けた。
「新オフィスに引越し直後でご満悦なアンダーアーマー社、ライアン・ウッド副社長。ダラスカウボーイズにドラフト7位で入団した元名RB。」


「新オフィスに引越し直後でご満悦なアンダーアーマー社、ライアン・ウッド副社長(当時)。ダラスカウボーイズにドラフト7位で入団した元名RB。」
「ただね、シュー(私こと安田秀一の愛称)、俺のビジネスの基礎を作っているのは全てフットボールなんだ。準備、努力、計画性、戦略性、実行、リーダーシップなどなど、俺の全ての骨格はフットボールなんだよ。」
ライアンはアリゾナ州立大学時代、オールパック10に選出され、ダラスカウボーイズにドラフトされたことのある元名RBだ。プロの世界における自分の位置付けを早期に判断したライアンは現在ではフットボールからは完全に引退し、Under Armourのビジネスに参加、経営の一員として会社を引っ張っている。ライアンにとってもフットボールは宝物って訳だ...。


高校に入学後、初めて知ったフットボール。石に噛り付きながら紆余曲折を経て、何とか過ごすことができ、まるで希望していていなかったレギュラーポジションが転がり込んできたのが二年生の時。三年になったら何と主将になっていた...

「石に噛り付いている」うちに「噛り付くには積極的にやったほうが楽だ」ということを学んだ。例えば、昼休み。一年生は何故か部室の前に勢ぞろい、一列にキレイに並んで先輩に挨拶をする。挨拶以外の仕事は先輩の「使い走り」だ。「イチねーん、アイス買ってきて」「おーい、誰か冷やしたぬきうどんを3つ!」「天丼にマヨネーズ!」「チーズ見聞録2つ!(当時売っていたチーズ味のスナック菓子)」など等、先輩からの依頼は多種多様だ。しかし先輩からの「指名」はない。誰が犠牲になるかは何となくの雰囲気、「阿吽の呼吸」で決まるのだ。先輩の視線、一年生同士の力関係etc, etc... で、そんな時、当然ではあるが、自分が「パシリ」に行かざるを得ない状況になってしまうと、非常に面倒かつ「はまった!」に感じたものだ。目配せを見て、横をキョロキョロして、で「はい、行ってきます」...。こんな思いで買い物行くのはどうも気に食わなかった。気に食わないので、ある日「グジャグジャ考えながらやってもムカつくだけだ。大した仕事じゃないし、呼ばれたら無条件に真っ先に行こう!」と決意した。翌日から「一年!」と、お呼びがかかったらいの一番に自分から「パシリ志願」することに決めた。どんな場合でも「はい、行ってきます!」と元気よく買い物に行った。そんな時は何とも気分よく「パシリ」にいけるのだ。同期との力関係は気にすることなく、先輩からは重宝がられる。これはクラブ活動を通じて知った最初の「やる」ということである。 また、こんなことも自分の記憶に強く残っている... 練習の最後に100ヤードダッシュを3往復、必ず走った。練習の最後の最後ゆえ、本当にキツイ。最後の 1本になると先輩は必ず「ラストだぞー! 気合入れていこう!」と叫び、明らかに2本目より速度が増した。そんな行動に大きな違和感を覚えた僕は3本目、これで最後だ、とは思わずに「まだまだ、これからだぞ」と自分に言い聞かせて、どんな状態であれ常に全力を出せるよう、心に言い聞かせた。二年生になったら、先輩には遠慮なく「まだまだこれからこれから!」と大声で叫んだ。僕にとっては積極性こそが「楽」な道であった。「どうせやるなら、自発的に、思いっきり、大胆に、大袈裟に」

そんな行動原則に乗っ取り、また、何となくの雰囲気を察し、自ら主将に立候補したのが二年生の秋である。結果、選挙にて選出された。(ただ、「生徒」としての素行に些か問題のあった僕は顧問の先生からは「かなりの要注意人物」と目されていたので、主将に任命される前に個人的に呼び出され、各種の「釘」を刺されたのもご愛嬌ですが...) いずれにせよ「やる」ことの基礎、、、積極性の産み出す効果を知ることができたのが高校時代である。

肉体の「やる」について 高校生の時、合宿はモチロン「死ぬほど」辛かったし、ゲロも吐きまくった。でも不思議と決意が根底にあるとこなせるものだ。とにかく体力の無い一年生時の練習は辛かった。夏合宿において、一年生は「洗濯板」で先輩の汚物を洗濯し、宿舎では冷えたカルピスを切らすことは許されない。現代社会において、洗濯板で洗う必要など微塵もないにもかかわらず、また合宿以外の練習ではカルピスなどまったく飲まないくせに、何故か合宿になるとこの手の儀式的で奇妙な行動を取る必要があった。洗濯板での洗濯は連日深夜までかかる作業で、早朝のランニングと相まって合宿期間の平均睡眠時間は4-5時間であったと記憶している。練習中は当然、水は飲めない。また「怪物」のような先輩達との「タックル練習」では余りの「痛さ」から涙と鼻水とよだれ等のあらゆる「液体」が顔面からしたたり落ちる... あー、今思い出してもなんとも痛い、とても忘れることのできない具体的な「痛さ」である。

ただ、そんな中でも、本当に体力的に辛かったのは3年の春の神奈川県大会、準決勝で闘った日大高校戦であった。その試合で僕は初めて、「攻守フル出場」というものを経験した。どんな厳しい練習よりよっぽど辛い経験だった。一試合通じて攻守フル出場したのは僕一人で、更に試合も抜きつ抜かれつの白熱の展開、更に更に相手オフェンスはショットガンで、ディフェンスラインの僕は毎プレーパスラッシュを続けなくてはならなかった。30度を軽く超えるだろう炎天下、第三クオーター中盤あたりから完全に意識がとんだ。攻守出場ということはグランドに立ちっ放し、とにかくベンチに帰れないのだ。タイムアウトの時だけ水が飲める。ガブガブ飲んで、残りの水を頭からかぶると、ふっと意識が戻る。

そしてゲームが始まるとまた、全く意識が無くなる。当然、試合展開のことなんて全く考えられない。なんたって意識が無いのだから勝ち負けなんて考えられるはずがない。第四クオーターに入るころになると、自分の半径1m以上先が全く見えなくなった。後でビデオを見る限り、プレーミスもなく、それなりには動けていた。ただ、主将としてやるべきリーダーシップを発揮するということは全く出来なかった。試合中のもうろうとする意識の中は「ああ、今、俺はいったい何をしているんだろう。」なんていうトランスした状態であったと記憶している。

何とか試合には勝利できたが、生まれてこのかた、意識がなくなったことは初めての経験であり、あんなトランス状態に入ったこと(大学入学後たびたび経験することになるのだが...。)は自分で自分に驚かざるを得なかった。ただ、主将としてのそんな戦い振りには本当に反省した。チームメイトみんなの頑張りが余計に僕を苦しめた。試合後、何故か悔しくて涙が止まらなかった。キャプテンがそんなんでどうするんだ、という悔しさ。この時試合、というより全てのモノゴトに対処する際、「冷静」に行動することの大切さを痛感し、以後、体力の消耗は仕方ないにしても精神の安定だけは失わないことを心に誓った。高校生でこんな体験が出来たことは本当に良かった。これは体力的にもしくは精神的に厳しい状況に追い込まれた時にどう「やる」のか、具体的に学ぶことができた。

ただ、大学時代、事実上の最後の試合となった専修大学戦で同じようなミスをやらかすことになる...。人間は本当に反省しても、現実に具体的な進歩なり改善を見せることはつくづく難しいのだなあ、と実感する。

結局のところ、現実は何とも反省反省の毎日、勉強勉強なのである。

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