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社長コラム:PRESIDENT’S COLUMN

vol.006宝物はグランドに... アメリカンフットボールの話 その2

「アメリカンフットボール部入部説明会、4月X日、XX教室にて」

という一行が黒板の右端に書かれていた。今でもその光景...というかその黒板全体のイメージが目に焼き付いている。記憶って言うのは恐ろしい。数あるクラブの全てが黒板に説明会の日程を記載していたのだが、その中一つのモノであった「アメリカンフットボール部説明会」のイメージのみが、、、色々な「思い」と重なって「さかのぼって」記憶に刻まれているのである。僕の人生にとってあの「黒板の一行」はそれほどまでに大きな意味を持っているのである。

そもそもアメリカンフットボールなんかに興味はまるで無かった。高校に入ったらバイクに乗って色々な場所に行きたい、というおぼろげな計画があった。元バイクのレーサーだった親父、また全日本のモトクロスチャンピオンで今も「SP忠男レーシングチーム」のオーナー兼監督を務める叔父の影響である。あと留学もしたかった。アメフトはともかく、運動なんてまるでやる気が無かった。

心の変化...Part 1
新入生のオリエンテーションにて、生徒会長から「体連、つまり運動部への参加率は約45%、つまり法政ニ高は全校生徒の約半分は運動部員です。」という説明を目の当たりにして「ビックリ仰天」した。なんだろう、「合宿で入院者」が出るような「キワモノ」が全体の半分もいるとは... つまりこれは「キワモノ」なんかではない、完全な「メジャー」ではないか! 僕にとって運動部であることが「メジャー、イコール普通」ということが何ともカルチャーショックだった。「っつーことは、スポーツ好きなくせに、運動部に属さないってことは普通以下か。うーん、俺は普通以下...」という微妙な「闘志」にほんの少しだけ火がついた。

人間というのは誉められれば「木にも登ってしまう」が、反対にマイナス要素を浴びせられても「山に登ろう」とするものだ。この「法政ニ高スタンダード」を目の当たりにして、心に火がついたのは紛れもない事実である。また、学校はあまりにも自由闊達、厳しかった校則にガンジガラメ、体罰バリバリの中学時代をすごした僕にとっては教室でアイスを食ったり、学ランのホックやボタンを外したりして先生と会話をしている先輩達の姿もまた異常なものであった。「自由闊達」、それは時として「何もすることが無い」を意味するものでもある。

心の変化...Part 2
「アメリカンフットボール説明会」の文字は、開催日の1週間前くらいから黒板に記載されていたと思う。その間に中学校時代の友人の家に遊びに行って、バレー部時代の友人数人と情報交換をした。「どうだよ、そっちの雰囲気は? お前らどうすんの、バレー続けるの?」と俺。「うーん、なんか校則厳しいよ。今中(いまちゅう...我が母校の千代田区立今川中学校の略)と全然変わんねーよ。バレーはどうしようかなあ。一応練習は見学してみるけどね。お前はどうなんだよ。」と友人A。「なんかすげえよ、雰囲気。みんな学ランは着ないし、教室でウォークマン聞いているし、平気で早ベンしているし... でもバレーはやらないよ、だって全国大会レベルだぜ。通用する訳ねーよ。」と俺。するとパラパラと法政ニ校の入学案内を見ていた友人Bが「へえ、法政ってアメフトあんのかよ。いいなあ。俺、高校行ったらアメフトやりたかったんだよ。マジでカッコいいよな、アメフトって。羨ましいなあ。俺なら絶対にやるけどね。」なんて言葉を発した。

生まれて初めて「アメフト」に関する第三者の主体的なコメント聞いた瞬間だ。「なんだよ、アメフトって? 大変じゃないか。ルールも知らないし、レギュラーなんかになれるわけ無いだろう。こいつ何言ってんだ?」というのが率直な感想だった。いずれにせよ、その友人Bから発せられた言葉「俺なら絶対にアメフトやるけどね」という言葉があまりにも新鮮で、やたらと心に残ったことは確かだ。その友人Bはバレー部時代、エースであった僕よりも「格下の選手」であり、そいつにけしかけられた事もまた「男心を揺す振られた」事実にもなった。

「やる」という行為
翌日、例の黒板に書かれていた例の「アメリカンフットボール説明会」の文字が妙に刺激的に見えた。どうも気になって仕方が無い。つまり、誰でも入って当然の運動部、更には友人から「カッコいい」と言われていたアメフト部、これがなんとなく僕に挑発をしているようである。臆病な僕はできるだけそれを見ないでいたい... 僕には安穏とした憧れの高校生活が待っている。そんな挑発に乗るもんか...でも。一応、説明会には行ってみてもいいのでは...あくまでもそれは「説明会」、本当にカッコいいのかどうか、入院するくらい、ぶっ倒れるくらいの練習とはどんなものなのか、ちょっと見てみてもいいのでは...という気持ちの方が、次第に強くなってきた。でも、なんとなく最初の一歩が踏み出せない。そこで、、、同じ中学から法政ニ高に入学した森慎二(もりしんじ)という剣道部だったヤツを誘ってみた。正直、中学時代、森とはあまり話したことはなかった。でもこの際そんなこと関係ない、とにかくアメフト部の説明会に誘ってみよう。

森は剣道部ではあったが、それほどアクティブな生徒ではなかった。どちらかというと体育は苦手という印象をもっていた。そんな彼を誘ってみても一緒にきやしないだろう。「もしヤツに断られたら、アメフトは諦めよう。」 当時の僕は、そんなふうに本来最も重要である「自分の未来」を「あまり親しくない友人」に託していた。むしろ、彼が「安田、そんなの俺やる訳無いだろう。俺に運動部なんて無理に決まっているジャン。」という答えを期待していたのかも知れない。

で、実際に誘ってみた時のヤツの答えは「おう、いいよ。行ってみよう。やらないけど、説明会だから。」というものだった。なんかいいなあ、気楽で。でも本来そんなものなのかもしれないなあ、なんたって生徒の半分は運動部なんだから。びびっている俺が変なのかも知れない...。森のお陰で、少しだけ前向きになっていた自分に気づいた。で、結局出席した「説明会」である。一応、自ら行動した小さなステップは大きな賭けでもあった。何が賭けだかよくわからないが、とにかくそれほどまでに気負って説明会に望んだ。

「やる」ことの実態
説明会が始まった。メインスピーカーは「ババ」と呼ばれていた池田という2年生だ。身長は183cmくらいだろうか、何故彼が「ババ」なのかは、、、顔全体でそれを表現しているがごとくの「縦長」の顔であった。まあそんな「ババ」はともかく、先輩達が着用していた「HOSEI 2nd High TOMAHAWKS」と背中にデカデカとプリントされたウインドブレーカーは「カッコいい」以外の何物でもなかった。何ともいえない「選ばれた人」だけのプライドが無言のままに伝わってくるようであった。このとき、中学時代の友人の言葉が初めて理解できた。

「それではアメリカンフットボール部の説明会を始めます。我々法政ニ高アメリカンフットボール部トマホークスは全国大会優勝が...」ババは、過去の栄光を含めた歴史を誇らしげに説明した。その内容はまるで覚えていない。その直後に起こったことが余りにも印象的だったからだ。「じゃあ、早速練習を始めるから着替えて!」 なんだって!!! 今日は説明会じゃないか! 練習なんてウソだろう。まあいいや、俺は今日は運動着も何も持ってきてない。とりあえず見学だ。すると「運動着を持って着ない人はこれをここにあるからサイズを選んで着ること!」とババ。なんて用意周到なヤツだ。でも運動靴が無いからいずれにせよ無理だ。恐る恐るババに話し掛ける。「すみません、運動靴が無いんですが...」「あ、今日は雨でグランドが使えないから、トレーニングセンターで筋トレだよ。だから運動靴はいらねえよ。」...!

もう逃げられない。切り札をもって話し掛けてしまった限り、もう戻れない。やばい、早速入院かもしれない。ふと横を見る...なんだ、こいつ、運動オンチの森が既に着替えているじゃあないか。こいつ知っているのか、入院したりゲロ吐いたりする高校の運動部のことを...でも、しょうがない一日だけ何とか「流して」終わりにするしかない...。

先輩に借りた運動着を着て、トレーニングセンターにいった。すると明らかに2年生より貫禄があり、身体がやたらとデカイ三年生たちが獲物を物色するライオンのような眼差しでこっちを見ている。「じゃあ、自己紹介から!」なんだよ、ちがうぜ、俺は部員なんかじゃない。単なる見学者だ。自己紹介もクソもないだろう。でも新入生達の自己紹介は早速始まる。僕とは違ってもともと入部希望のヤツ等ばかりな訳だから、自己アピールも相まってなんとも言えない熱気を帯びている。

「僕はハンドボール部でキャプテンとして区大会優勝、都大会ベスト8まで行きました。ポジションはXXを希望します!」 なんていう模範解答ばかりが並ぶ。中学時代「スポーツエリート」だったヤツばかりのようだ。とうとう僕の番が来た...「中学時代はバレー部でエースとして区大会優勝の経験があります。ポジションはよく分かりませんが、宜しくお願いします。」おいおい、誰の口がしゃべってんだ! これじゃあ、期待されちゃうじゃないか。でも周りの回答を聞いたらこれしかない。ああ、どうしよう。

...そうこうしているうち初日の練習が終わった。筋トレなんてやったことが無かった僕にとってメニューは大変辛かった。でも、出来ないことは無かった。むしろその「未知の体験をこなせた」、ということで清清しさと妙な達成感を感じてしまった。その帰り道、あれこれ考えていた自分に一つの結論がでた。「今日で情けない自分とはおさらばだ。とにかく、石に噛り付いても3年間続けよう。レギュラーなんてなれなくてもいい。何か見つかるかも知れない。絶対に辞めない!」人生における最大の決断かもしれない。本当はアメフトでもなんでもよかったのだと思う。その決断をした瞬間、自分の周りにあったモヤモヤした感覚つまり、自分は情けない、とか、疲れたら流すだらしない自分、とか、臆病である、とか、何か自分が抱えていた自分自身の問題が一気に晴れた気がした。まだ何も変わってない。変わったのは決断をした心だけだ。でもこの清清しさは何だろう。「情けなくても、勇気が無くてもそんな過去のことはもうどうでもいい。俺はとにかく、この部に喰らいついていく!」

この決断をした16年前の電車の風景を今でもはっきり覚えている。

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